トルコの世界遺産「エフェソス(エフェス)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4), (6)
登録年2015年

トルコ西部・エーゲ海岸に位置するエフェソスの遺跡には、ヘレニズム建築やローマ建築などが点在していて、保存状態の良い図書館や劇場など、当時の繁栄した姿を現在に残します。周囲には、世界七不思議の一つであるアルテミス神殿跡や聖母マリアが住んでいた家とされる礼拝堂などがあり、これらも含めて登録。

ここでは、エフェソスがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エフェソスについて詳しくなること間違いなし!

目次

エフェソスとは?

アルテミス神殿跡
画像素材:shutterstock

トルコの西部に位置するイズミル県セルチュク近郊のエフェソスは、紀元前7000年前から人々が住んでいた地。ここは海岸線が東から西に移動するという独特の地形で、港は常に西へと移動しています。

新石器時代の集落跡は内陸部にあり、青銅器時代になると放棄され、紀元前10世紀頃に現在のエフェソス遺跡に人々が住むようになります。周辺には紀元前700年頃にアルテミス神殿が建造され、ここは月の女神であるアルテミス信仰が盛んだった土地でした。

エフェソスの古代都市
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紀元前2世紀頃にアナトリア半島が共和制ローマの領土になると、ここはアジア属州の首府として栄えました。その時代に世界三大図書館の一つであるケルスス図書館や5万人も収容できた大型劇場などが建造されます。

エフェソスは、キリスト教を受け入れた時期も4世紀と早く、5世紀になると公会議など、キリスト教世界の中心都市になりましたが、8世紀になると町は放棄され、港は埋まってしまい、現在は近くにあるセルチュクの町に人々が住んでいます。町の郊外にある聖母マリアが余生を過ごしたとされる家は礼拝堂となり、各地から巡礼者が訪れるスポット。

登録されている主な構成資産

エフェソスの古代都市

エフェソスの古代都市
画像素材:shutterstock

現在のセルチュクから南西約3kmの距離にある遺跡で、紀元前10世紀にギリシャ人入植者によって建造され、紀元前129年には共和政ローマのアジア属州の首府となり、繁栄しました。かつては港町であったのですが、3世紀以降は海岸線が徐々に西へ移動したため、町としての重要性は下がっていき、8世紀には町は放棄。

セルシウス図書館

セルシウス
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2世紀に建造された図書館で、アレクサンドリアとペルガモンに次ぐローマで3番目に大きな図書館として有名でした。ここには約1万2千冊の書物が保管されていたとされています。入口にある2階建ての壮麗なファサードはエフェソスのシンボルでもありますが、度重なる地震で10〜11世紀には崩壊し、現在見られるのは20世紀に修復されたもの。

ローマ劇場

ローマ劇場
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2万5000人も収容できたという古代でも最大規模の劇場であったとされるもの。ここは主に演劇が行われていましたが、剣闘士の墓も発見され、剣闘士同士の戦いも行われたと考えられています。

アルテミス神殿跡

アルテミス神殿跡
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月の女神であるアルテミスを祀った神殿。紀元前700年頃に建設されるも、紀元前550年に再建。神殿には美しい彫刻や金銀が施された柱など、豪華絢爛な建築物であったと伝えられ、世界の七不思議の一つに数えられるほど。

さらに紀元前323年には再度建て替えられると、3世紀にはケルマン系の民族であるゴート人によって破壊。その後、19世紀後半になるとイギリスの大英博物館の考古学探検隊によって神殿跡が発見されます。現在は廃墟となっていて、いくつかの残骸から柱を組み立ているものの、当時の姿を想像するのは難しいといった状態。

聖母マリアの家

聖母マリアの家
画像素材:shutterstock

セルチュクから7kmから離れた位置にある礼拝所。イエスが聖地エルサレムで磔刑となると、聖母マリアはこの地で十二使徒の一人であるヨハネとともに暮らしたという伝説が残っています。

19世紀にアンナ・カタリナ・エンメリックというドイツ出身の修道女が幻視し、エフェスソスのこの場所に聖母マリアが住んでいたという姿を見たということを記録した本が出版されると、1881年にフランスの司祭がこの場所を発見。それ以降多くの人々がここを訪れるように。ローマ教皇庁は公式には聖母の家としては認めていないものの、歴代の教皇も訪れることから、一般的には「聖地」と見なされ、多くの巡礼者が訪れます。

エフェソスはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

エフェソスの古代都市
画像素材:shutterstock

エフェソスが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
エフェソスには、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代の各時代の建造物が残っているということ。

登録基準(iv)
エフェソスは、ギリシャ時代から中世まで港の位置が変わったように、地形の変化によって居住地の風景が変わるという例であるという点。

登録基準(vi)
エフェソスでは、2回もの公会議が行われるなど、キリスト教世界における重要な事項が決まった土地。ここは、アルテミス信仰から現代のキリスト教まで、アナトリア半島における宗教の足跡が残る遺跡であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

エフェソスは、ローマ都市として壮麗な建造物が多く残り、保存状態が良好というだけではなく、海岸線がよく移動するという地形なので、ヘレニズム時代、ローマ帝国時代、初期キリスト教時代に築かれた港が移動するという特殊な地形という点でも評価。そして、遺跡からはアルテミス信仰からキリスト教に変化していく過程も見られ、アナトリア半島の宗教史も見られるというのもポイント。

ちなみに、エフェソスはあの有名なクレオパトラ7世の妹であるアルシノエ4世が幽閉された地で、1990年に彼女のものと思われる墓所と遺骨が発見されました。しかし、死亡したと思われる年齢に比べて、あまりにも若すぎるので、本当に彼女のものかどうか議論が分かれるところ。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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