フランスの世界遺産「シュノンソー城」とは?黒い部屋を含めて世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(4)
登録年2000年

シュノンソー城は「シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷」の構成資産の一つ。川の上に築かれた美しい城で、歴代の王妃や王妾たちが暮らしたことでも知られます。ところで、シュノンソー城はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではシュノンソー城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シュノンソー城について詳しくなること間違いなし!

目次

シュノンソー城とは?内部には王妃や王の愛妾の部屋が

シュノンソー城
画像素材:shutterstock

フランス中西部、ロワール川の南に流れる支流・シェール川にかつてあった製粉所の跡地に建造された城。11世紀には既に邸宅があったとされますが、王族に献上されたのが16世紀。その後、歴代の王の愛妾が住むこともありましたが、最終的にはチョコレート業者のムニエ一族がここを所有。ここは増改築が繰り返され、後期ゴシックと初期ルネサンスの建築様式が入り交じった優美な姿となっています。

城内には、フランソワ1世の寝室やルイ14世の居室など、歴代の王が滞在した時に使用した部屋もあり、周囲にはディアーヌの庭やカトリーヌの庭など、王にまつわる女性たちの名が付いた庭園なども見られます。

「黒い部屋」とシュノンソー城の幽霊

シュノンソー城
画像素材:shutterstock

この城は王妃の寝室や庭園などが見どころではありますが、その中でも、アンリ3世の王妃で、未亡人となったルイーズ・ド・ロレーヌ=ヴォーデモン(1553〜1601年)の寝室は「黒い部屋」と呼ばれます。彼女は1589年にシュノンソー城を受け継ぐと、アンリ3世がすぐに亡くなったために、王への哀悼を示す白い喪服を着用して過ごしていました。

彼女の部屋は、基本カラーが黒で統一。天井には未亡人の綬章、荊冠で飾られていて、アンリ3世のイニシャルのHと彼女のイニシャルでもあるギリシャ文字のラムダ(Λ)なども見られ、ここで瞑想の日々を過ごしました。それもあり、城内には白い服を着た女性が幽霊が見られることから、彼女の幽霊では?と噂されています。

シュノンソー城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

シュノンソー城
画像素材:shutterstock

シュノンソー城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
渓谷内にはブロワ、シノン、オルレアン、トゥールなど歴史的な景観を持つ街が点在し、そして、美しい外観のシャンボール城も見られるという点。

登録基準(ii)
渓谷は、2000年にも渡って人間と環境の調和をしつつ発展したという文化的景観が見られるということ。

登録基準(iv)
渓谷沿いに残る建築物は、王族や貴族たちによって建造され、デザインや思想において、ルネサンスを経て啓蒙主義時代の理想を実現したものであるという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ロワール川の支流であるシェール川の上に築かれたシュノンソー城は、環境に溶け込むように造られていて、庭園を含めて王や王妃たちの理想の城として増改築されていったという点で評価されています。

ちなみに、街としてのシュノンソーのスペルは「Chenonceaux」なのに対し、城は「Chenonceau」と最期の「X」が外されています。記録としては残っていないのですが、フランス革命中に所有していたルイーズ・デュパンという地主が、王政のシンボルである城と区別するためにわざと外したというのが定説。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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