ウルグアイの世界遺産「フライ・ベントスの産業景観」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2015年

フライ・ベントスは、ウルグアイの南西部に位置する工業都市。1859年に食肉処理工場が設立され、やがて工場ではヨーロッパ向けに肉エキスとコンビーフが製造されるにようになり、1924年には冷凍肉を製造したりと「世界の台所」と呼ばれるように。ここは肉の調達、加工、梱包、発送のすべての過程が見られ、世界規模での食肉の生産の過程が理解できる遺産でもあります。

ここではフライ・ベントスの産業景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フライ・ベントスの産業景観について詳しくなること間違いなし!

目次

フライ・ベントスの産業景観とは?

画像素材:shutterstock

ウルグアイとアルゼンチンの国境を流れるウルグアイ川沿いにあるフライ・ベントスは、リオ・ネグロ県の首都。1859年に食肉処理工場が建造されると、ドイツ人技師が開発した肉エキスの産業化に成功しました。その後、1865年に英国で設立された「リービッグ・エクスクラクト・オブ・ミート・カンパニー」によって牛肉エキスが製造されるにようなり、これがヨーロッパで大ヒット。1873年にコンビーフの缶詰が製造が始まり、これは「フライ・ベントス」という名称で販売され、軍隊の食料として好評でした。コンビーフ缶は世界中に出荷されるようになり、ここは「世界の台所」と呼ばれるように。

1924年に工場は、ヴェスティ・グループに買収されると「アングロ・ミート・パックング・プラント」と改名され、冷凍肉を製造を始め、世界中に輸出されるようになりました。しかし、1964年には缶詰から由来する腸チフスがイギリスのアバディーンで流行すると、ブランドは低迷し、1979年に工場での生産は停止。ここは世界から労働者を受け入れたため、彼らの住宅や工場、社会施設などがそのまま残っていて、2005年には旧工場跡は博物館となり、世界規模での食肉生産を伝える遺産として、2015年に世界遺産に登録。

フライ・ベントスの産業景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

フライ・ベントスの産業景観が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
フライ・ベントスの産業景観は、19〜20世紀のヨーロッパと南米の価値観の交換が見られ、社会や文化、経済に関して影響を与えました。ここは55ヶ国以上の労働者が集まってきたということもあり、世界規模での缶詰や冷凍肉の生産と輸出を可能にする技術に関する交流が見られるという点。

登録基準(iv)
ここはウルグアイ川と農業地帯、フライ・ベントス市をつなぐ、牛の放牧地、産業施設、機械、港湾施設、住宅地、緑地などが集まる工業景観は、20世紀初期の産業の発展が見られる例であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

フライ・ベントスは、19世紀末から20世紀後半まで、世界規模の食肉工場があったことで、工場と周囲の農業地帯を含めた産業構造が見られ、多くの国から労働者が集まり、缶詰や冷凍肉の加工技術がここで磨かれたという点で評価されています。

日本でコンビーフといえば「ノザキのコンビーフ」ですが、これは1950年に販売が開始であるので、フライ・ベントスがかなり古くから製造を開始したことがよくわかりますね。ちなみに、似たような分野の商品であるランチョンミート缶の「スパム」は、1937年に生産が開始。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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