登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2006年 |
イタリア北西部の港町ジェノヴァは、かつてジェノヴァ共和国の中心地だった場所。16世紀後半から17世紀初頭の黄金期になると、ストラーデ・ヌオーヴェ(新しい通り)沿いにはルネサンス様式やバロック様式の美しい大邸宅(パラッツォ)が並ぶようになりました。これらは「ロッリ」と呼ばれる、身分の高い人々を迎えるための迎賓館の目録に登録されていることから、この登録名となっています。
ここではジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ストラーデ・ヌオーヴェについて詳しくなること間違いなし!
ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度とは?
リグーリア州の州都であるジェノヴァは、かつては海洋国家であったジェノヴァ共和国(1005〜1797年、1814・1815年)として栄え、イタリアにおける金融都市でもありました。ジェノヴァは地中海や黒海の交易で繁栄し、16世紀になるとスペイン王室の銀行家となるほどに成長。その富によって裕福な貴族が市街の北部に新しい地区を開発し、ルネサンス様式とバロック様式のパラッツォ(大邸宅)が多く密集するようになったことから、ここは「ストラーデ・ヌオーヴェ(新しい通り)」と名付けられました。
これらはペルージャ出身の建築家ガレアッツォ・アレッシによって設計され、3〜4階建ての高層住宅となっていて、広大なエントランスホールを持ち、中庭や庭園を見下ろすロッジア(屋根付きの柱廊)などがあり、内部にはフレスコ画やスタッコ(化粧漆喰)が施されていました。
パラッツォは、世界各国から訪れる来賓を迎えるという役割もあり、1576年共和国政府は彼らを迎えるためのパラッツォをまとめた「ロッリ」と呼ばれる目録が作られました。世界遺産に登録されたパラッツォは当時の目録に登録されていたために、これが世界遺産の名称にもなっています。
現在のストラーデ・ヌオーヴェは1882年にイタリア統一に貢献したガリバルディにあやかり「ガリバルディ通り」と改名されましたが、今でも美しいパラッツォが並び、これらは博物館や美術館として開放されています。
ジェノヴァのレ・ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツィ・デイ・ロッリ制度はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ストラーデ・ヌオーヴェが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ストラーデ・ヌオーヴェとパラッツォは、16〜17世紀の建築物と都市計画の発展に関連した価値観の交流を示し、後期ルネッサンス様式のパラッツォは、マニエリスム様式やバロック様式の建築の発展における基盤にもなったという点。
登録基準(iv)
ストラーデ・ヌオーヴェは、貴族のパラッツォで構成された都市区画の傑出した例で、16〜17世紀の黄金期だったジェノヴァの経済力と政治力を示すものであり、1576年にジェノヴァ共和国の政府はVIPを迎えるための美しい邸宅としてロッリ(目録)を作成したということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ジェノヴァは現在はイタリアを代表する港湾都市ですが、かつては地中海や黒海と交易し、16〜17世紀には大いに繁栄したスペイン王国の銀行家でもあったために、この都市には世界各地の要人が訪れ、迎賓館的な役割としてパラッツォは建造され、それらは目録として登録されていたという点で評価されています。
ちなみに、ジェノヴァ出身の有名人といえば、新大陸を「発見した」と最近まで思われていたクリストファー・コロンブスですが…明確な資料もなく、実はそれほど根拠があるわけでないのです。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチの日記にはジェノヴァ人の船乗りと「地球」について話したことがあるという記録もあり、その船乗りがコロンブスかどうかは置いておいて、なんとなく…ジェノヴァが出身というのが真実っぽい気もしないでもないから不思議ですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。