登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(3),(4) |
登録年 | 2001年(2023年拡大) |
ポルトガル北西部のギマランイスは「ポルトガル発祥の地」と呼ばれています。ここは12世紀に初代ポルトガル王・アフォンソ1世が生まれたギマランイス城など、伝統的な素材と技術を駆使した建築物が残存。旧市街には15〜19世紀までのポルトガル独自の建築物の保存状態も良好です。
ここでは、ギマランイスの歴史地区とコウルス地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ギマランイスについて詳しくなること間違いなし!
ギマランイスの歴史地区とコウルス地区とは?
ギマランイスは、ポルトガル北西部のブラガ県にある小さな都市。ここは12世紀に独立を宣言したポルトゥカーレ公爵・アフォンソ1世が生まれた地で、「ポルトガル発祥の地」と呼ばれます。彼はやがてポルトガルとしての初の王国、ボルゴーニャ王朝を開くことに。
街の起源は4世紀。12世紀にはボルゴーニャ王朝の首都になりました。ギマランイスの旧市街は、北のギマランイス城から南の修道院で構成されていましたが、15世紀以降は開発が進み、旧市街には豪華な家屋が並ぶようになりました。
旧市街は保存状態がよく、中世の町並みと区画を残したまま、近代的な都市に進化したという点で評価されています。伝統的な素材と技術を駆使した建築物も多く、15〜19世紀までに発展してきたポルトガル独自の建築様式が見られます。これは1階は花崗岩で作られ、2階は木造の枠組みで作られるもの。そして、この地で確立した建築技術はやがてアフリカやブラジルなどの植民地でも普及していきました。
2023年には、南部の工業地帯の「コウルス地区」まで拡大されました。19世紀から 20 世紀初頭にかけて利用された、皮なめし工場や労働者の家などが含まれています。
ギマランイス城
10世紀にこの地を治めていたポルトゥカーレ伯が修道院として設立されたもので、やがてヴァイキングから街を守るため城が築かれました。初代ポルトガル王・アフォンソ1世がここで生まれたことで有名。13世紀には高さ28mの大きな塔が増築されました。
ギマランイスの歴史地区とコウルス地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ギマランイスが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
中世にギマランイスで確立した独特な建築技術はアフリカとブラジルの植民地に伝わっていったということ。
登録基準(iii)
12世紀にこの地で王朝が誕生したことが、ポルトガルの国民的アイデンティティになったということ。
登録基準(iv)
ギマランイスの市街は、15〜19世紀にかけて中世の集落だった時代から現在の都市への発展が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ギマランイスは、ポルトガルの故郷というべき都市でシンボル的な存在というだけでなく、ここで生まれた独自の建築様式はアフリカやラテンアメリカへと普及していったという点が評価に繋がっています。そして、旧市街は現在でもその町並みが活かされつつ、都市として機能しているというのもポイント。
ちなみに、ボルゴーニャはポルトガル語で、フランス語になるとブルゴーニュ。なぜフランスの地名が由来かというと、アルフォンソ1世の父エンリケは、ブルゴーニュ出身なのでこの名前が使われています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。