登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4),(6) |
登録年 | 2000年 |
ベルギー西側に位置するブルッヘは、内陸にあるにもかかわらず、運河によって海と繋がっていて、中世からの町並みが残る歴史地区があります。ここは13世紀にハンザ同盟として商業都市として繁栄し、街の中心部のマルクト広場には商館や高さ83mの鐘楼などが建造。さらにブルッヘはフランドル派の絵画のルーツでもあります。
ここではブルッヘ(ブルージュ)歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、 ブルッヘ歴史地区について詳しくなること間違いなし!
ブルッヘ(ブルージュ)歴史地区とは?
ベルギーの北西部ウェスト=フランデレン州の州都。ここはフラマン語(ベルギーで話されているオランダ語)ではブルッヘ、フランス語ではブルージュと呼ばれています。街の起源としては初代フランドル泊によって建造された城塞がルーツとなるヨーロッパでも有数の古い街。
12世紀に発生した大津波によって溝が形成され、それが運河となり、港町になりました。運河は現在でも残っていて、13世紀になるとハンザ同盟(バルト海沿岸の交易をする商人の組織)の都市となり、現在の旧市街の中心地であるマルクト広場を中心に商館が建造され、ヨーロッパ初の証券取引所も設立。その後は、大いに繁栄し、市民たちが自分たちの富の象徴として、高さ83mの鐘楼を建てるほどにまでに成長しました。
しかし、15世紀になると運河に泥が沈殿するようになり、船の航行ができなくなると、街は衰退。19世紀の産業革命の影響がなく、鐘楼のあるマルクト広場、教会、修道院など、中世の町並みがそのまま残されることになりました。
ブルッヘは初期フランドル派であったヤン・ファン・エイクが活躍した都市でもあり、彼はブルゴーニュ公フィリップ3世に宮廷画家として迎えられ、彼の作品が多く描かれたという背景もあり、ヨーロッパの美術史にも影響を与えています。
登録されている主な構成資産
ブルッヘの鐘楼
13世紀初頭に建造されたゴシック様式の鐘楼。もともとは木造で作られ、13世紀後半に焼失したために再建されました。さらに15世紀と19世紀にも再建されたため、現在の塔の高さは83mとなっています。
最上階にはカリヨン(組み鐘)が置かれていて、現在でも演奏が行われています。ここは世界遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群」としても登録。
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聖母教会
この地には10世紀以前から教会が存在したものの、12世紀に消失したため、現在の教会は13〜15世紀にかけて再建されたものです。122mの尖塔はアントワープの聖母大聖堂に抜かれるまで、この地域で最も高い建造物でした。16世紀に再建され、17世紀にも修復。ここにはルネサンスの芸術家ミケランジェロの彫刻『ブルッヘの聖母子像』があることで有名です。
救世主大聖堂
この場所に聖堂が10世紀には存在していたとされていますが、12世紀に焼失したため、ロマネスク様式で建造されたもの。19世紀に大聖堂となり、大幅に修復されると現在の外観となりました。最古の部分は12世紀にも遡るほど。ロマネスク様式の塔は高さ99mではあるものの、19世紀に再建。
聖血礼拝堂
ここは第1回十字軍の際にフランドル伯が聖地から持ち帰ったという聖血(イエス・キリストの血とされるもの)が保管されていることから、その名が付けられました。12世紀にロマネスク様式で建造され、16世紀にゴシック様式に再建されたものの、19世紀には現在の姿に。
ベギン会館(修道院)
「ベギン会」とは、13世紀の中世ヨーロッパで生まれた、キリスト教徒の未婚の女性もしくは未亡人による共同体のこと。修道女とはまた異なり、教育や執筆、看護、工芸などさまざまな仕事をして生計を立てているというのが特徴。
ブルッヘの会館は、13世紀にフランドル伯の妻によって創建されたもの。ここは居住者が去った後は、ベネディクト会の修道女によって修道院として活用されています。
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ブルッヘ(ブルージュ)歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ブルッヘ歴史地区が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ブルッヘ歴史地区は、レンガ造りのゴシック建築の発展に大きな影響を与え、初期フランドル派の発祥の地として北方ルネサンス期の発展においても影響を与えたという点。
登録基準(iv)
市役所や商館、教会、大聖堂など、ブルッヘ歴史地区の優れた建築群は、中世ヨーロッパの商業や文化において重要な段階を示しているということ。
登録基準(vi)
ブルッヘ歴史地区は、初期フランドル派の発祥の地で、ヤン・ファン・エイクやハンス・メムリンクなどを輩出し、北方ルネサンスの絵画の発展期における中心地であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ブルッヘ歴史地区は、ハンザ都市として繁栄したために多くの都市と文化交流し、ゴシック建築やフランドル派の絵画の発展に貢献したものの、15世紀には衰退したため、街並みはほぼ中世当時のまま残されているという点で評価されています。
ちなみに、ブルージュにある聖血は聖遺物として有名ですが、とにかく十字軍がほぼ「略奪」のように奪っていったもの。他にもトリノの聖骸布やウィーンの聖槍(ロンギヌスの槍)などが有名ですが、どれも科学的に否定されているものの…こういうのは信仰でありますから、その史実性は不明です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。