韓国の世界遺産「水原華城」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3)
登録年1997年

ソウルから南に35kmにある水原市。市内にある水原華城は18世紀の終わりに李氏朝鮮第22代国王・正祖が、父である思悼世子の墓をここに移し、その周囲を囲むように堅固な城壁を建設。6km近くもある城壁は現在も残り、東西南北に壮麗な4つの門が設置され、ヨーロッパの技術も導入された軍事建築として評価が高いもの。

ここでは、水原華城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、水原華城について詳しくなること間違なし!

目次

水原華城とは?

画像素材:shutterstock

首都ソウルから南へ35m。京畿道水原市には、石とレンガで構成された壮大な要塞があります。李氏朝鮮第22代国王・正祖はこの地を愛し、父・思悼世子の墓をここへ移動させました。水原華城は、思悼世子の墓を防衛する目的で造られたもの。5.74kmを誇る城壁で囲んでおり、ほとんどが当時のまま残っています。

ここは平坦な土地もあれば、丘陵地帯もあったりするのですが、地形を利用して要塞を作っているというのもユニーク。城壁には、塔や砲台、のろし台などが設置され、東西南北には4つの大きな門が設けられました。南の八達門には、石造りの土台の上に2階建ての櫓が建てられているというのが特徴。

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水原華城は、要塞であるのにもかかわらず、時には王の宿である「行宮」になったりと、中国や日本の要塞とは全く異なり、韓国の建築様式に大きな影響を与えた存在でありました。設計を行ったのは、実学者・丁若鏞。彼は住居と要塞を組み合わせつつ、当時の最新の技術で作り上げました。水原華城は、ヨーロッパの最新の建築技術と韓国の伝統様式を組み合わせて建造されたもの。

その後、第二次世界大戦や朝鮮戦争によって、水原華城の一部が破壊されてしまいました。しかし、「華城城役儀軌」という築城記録が残っていたことで、それに基づき建設当時の姿とほぼ同じように修復されたのです。

水原華城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

水原華城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ヨーロッパの建築技術と韓国の伝統的様式が組み合わさり、18世紀でも最高の軍事建築が完成したという点。

登録基準(iii)
水原華城は、18世紀の韓国における社会と建築技術の急速な発展が見られる建築物であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

水原華城は、韓国風の装飾がされているのに、ヨーロッパの要塞の建築技術が採用されたという東西のフュージョン的軍事要塞といったところ。それはこの時代の建築技術がかなり向上していたことを示していて、経済的に豊かになりつつあったということも分かるということも評価。

ちなみに、正祖というとMBCのドラマ『イ・サン』でも有名ですね。実際に名君としても有名。劇中でも水原は登場しますが、実際に彼は水原を愛し過ぎてソウルから遷都しようと考えていたほど。しかし、その直前に亡くなったため、ソウルはそのまま首都にされたという歴史があります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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