登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4), (6) |
登録年 | 1986年 |
イングランド中央部の西側にあるアイアンブリッジ渓谷は、18〜19世紀の産業革命のシンボル的存在。1709年に工場主エイブラハム・ダービー1世によって銑鉄の大量生産が可能となると、彼の孫が全長60mの世界初の鉄橋(アイアンブリッジ)をこの地に建設。ここは産業革命の技術と建築の発展に大きな影響を与えました。
ここではアイアンブリッジ峡谷がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アイアンブリッジ峡谷について詳しくなること間違いなし!
アイアンブリッジ峡谷とは?革新的な製鉄法とは?
アイアンブリッジの渓谷はイングランド西部のシュロップシャー・テルフォード郊外にあり、セヴァーン川沿いに位置する渓谷のこと。登録されているのは、世界初の鉄橋(アイアンブリッジ)を中心としたセヴァーン渓谷沿いに5.5平方kmの範囲。
スタッフォードシャー生まれのエイブラハム・ダービー1世は18世紀に工場を設立し、1709年にセヴァーン渓谷にコールブルックデール高炉を建造し、当時枯渇していた木炭の代用品として、石炭コークスで鉄鉱石を溶解するという製鉄法を開発。これによって当時世界最先端の素材であった銑鉄を大量生産できるようになりました。
森林に囲まれた渓谷沿いには鉱山や採掘所、工場、鋳造所、倉庫、労働者の住宅、公共施設など、18〜19世紀の産業革命時代の名残が残ります。セヴァーン川は輸送路となり、この地から南部の大都市ブリストルまで渓谷で作られた製品が運ばれていきました。
川にはエイブラハム・ダービー3世によって1779年に世界初の鉄橋(アイアンブリッジ)が建設されました。この橋の建設の成功によって、世界中に多くの鉄橋が築かれるようになったのです。現在はアイアンブリッジを含めて野外博物館として保存。鉄橋は観光地になり、多くの旅行者が訪れるスポットに。
アイアンブリッジ峡谷はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
アイアンブリッジ峡谷が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
エイブラハム・ダービー1世によって開発された、石炭コークスから鉄鉱石を溶解するという製鉄法は人類にとって革新的な発明であり、それによって築かれたアイアンブリッジは世界初の鉄橋であったということ。
登録基準(ii)
コールブルックデール高炉とアイアンブリッジは、産業革命後の技術と建築の発展に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iv)
渓谷沿いに並ぶ、鉱山や工場、住宅、輸送網などの工業地帯は現在にも通じる工業都市としての構造が見られ、保存状態は良好であるということ。
登録基準(vi)
アイアンブリッジ渓谷は18世紀の産業革命のシンボルであり、現在は多くの観光客が訪れるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
まず、銑鉄の発明は、人類の偉大なる発明ですね。そして、世界初の鉄橋であるアイアンブリッジは、あまりにも有名になりすぎて、この地名になるというほどに産業革命のシンボルとなったということが評価。そして、この地の工業地帯は現在の工業都市のルーツでもあり、産業革命遺構も技術や建築の発展に影響を与えているという点もポイントです。
細かいことを言うと、アイアンブリッジは世界初の「鋳鉄製のアーチ橋」であり、実は1769年にヨークシャー(イングランド北東部)には、錬鉄製の歩道橋が建設されたとされていて、ちょっと怪しい感じもしますが、ユネスコもそう言ってるし、そのあたりはケチを付けたらキリがないので、歩道橋だろうがアーチ橋だろうが、世界遺産マニアではここが「世界初の鉄橋」としておきます…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。