オーストリアの世界遺産「ヴァッハウ渓谷の文化的景観」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年2000年

ヴァッハウ渓谷はメルクからクレムスまでのドナウ川沿いの渓谷一帯が世界遺産に登録されています。渓谷には壮麗な修道院や城、遺跡などが点在し、ドナウ川を利用してぶどう畑も作られるなど、先史時代から人々が生活していたという証拠が残るという点で評価されています。

ここでは、ヴァッハウ渓谷の文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴァッハウ渓谷について詳しくなること間違いなし!

目次

ヴァッハウ渓谷の文化的景観とは?

ヴァッハウ渓谷の文化的景観
画像素材:shutterstock

首都ウィーンから西に約80km。クレムスからメルクまでの約35kmのドナウ川流域一帯が登録されています。

ドナウ川一帯の開発の歴史は古く、新石器時代から行われていましたが、現在のように農地として開梱されていくのは9世紀頃。その後、ぶどう畑として整備されていくようになり、18世紀までぶどう作りは続きました。農地は19世紀には果樹園などにも利用されるように。

ヴァッハウ渓谷沿いの町の構造は、11〜12世紀に基礎が作られました。今でも当時の町の区画がほとんど残っていて、15〜16世紀には木造の家々が石造りに変化し、現在見られる町並みを作り出しています。町には居酒屋や旅館、馬車駅、製粉所、鍛冶屋、塩の貯蔵庫など、現在も多く残る建造物は、その起源は15〜16世紀にまでさかのぼり、今でも街の風景に溶け込んでいます。ヴァッハウ渓谷は文化的景観として評価されたのは、こういった一連の風景が残るという点。

メルク修道院
画像素材:shutterstock

渓谷沿いにある「メルク修道院」は、代表的な構成遺産でベネディクト会派の修道院です。設立は11世紀ですが、現在見られるバロック建築の建物になったのは18世紀。フレスコ画の天井が見どころで、その迫力は圧巻!

渓谷沿いには多くの城や修道院などが建造されたことから、ドナウ川が古くから交通手段として重視されており、これらの施設が交通の要衝となることで、首都ウィーンを防衛拠点にもなったのです。

ヴァッハウ渓谷の文化的景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヴァッハウ渓谷の文化的景観
画像素材:shutterstock

ヴァッハウ渓谷が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ヴァッハウ渓谷は、人類がドナウ川とともに歩んだ証拠が多く残るという点。

登録基準(iv)
渓谷沿いの建築物、邸宅、農地などの中世から残る風景は、歴史とともに進化していったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

文化的景観というとイメージしづらいと思いますが、一言でいえば「ドナウ川とともに町や農業が進化していった」ということ。それが現在でも城や修道院などの目ぼしい建築物から旧市街、ぶどう畑まで、きちんと残っているということが評価になっているのです。

ちなみに、広さでいうと1万8000ヘクタールを超えるエリアが登録されているのですが、このあたりで新規で建築物を作るのは大変だろうな…と思われます。文化的景観あるあるかもしれませんが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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