登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (4) |
登録年 | 1996年 |
チェコ南東部・モラヴィア地方南部は、かつてヨーロッパで多くの領地を持っていたリヒテンシュタイン公爵家によって築かれた建造物が多く残ります。ここはバロック様式の2つの城と、ロマン主義を取り入れたイギリス式庭園が田園地帯に合わされるように置かれ、湖と森林などを含めた200平方kmもの広大な景観が特徴。
ここではレドニツェとヴァルチツェの文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、レドニツェとヴァルチツェについて詳しくなること間違いなし!
レドニツェとヴァルチツェの文化的景観とは?
モラヴィア地方南部に位置するレドニツェとヴァルチツェという2つの町は、17〜20世紀にかけてリヒテンシュタイン公爵家によって2つの城と庭園などが築かれました。リヒテンシュタイン公爵家は現在のドイツ出身の有力貴族で、リヒテンシュタイン公国だけでなく、東欧各地に領土を持っていて、12世紀にレドニツェを得ると、14世紀末にはその南に位置するヴァルチツェも獲得。
17世紀にヴァルチツェとレドニツェを結ぶ通りを築き、2つの城の間には19世紀初頭に当主だったヨハン・ヨーゼフ1世(1760〜1836年)によって、ロマン主義を取り入れたイギリス式庭園が築かれました。ここには池や森林だけでなく、狩猟小屋や礼拝堂、廃墟をイメージして建造された「ヨハン城」など、意図的に築かれた景観が200平方kmもの敷地に広がっています。
ヴァルチツェ城
かつてのリヒテンシュタイン公爵の居城で、ここは中世に築かれた城を基盤にルネサンス様式やバロック様式へと次々と改修されていき、現在はバロック様式の優雅な外観を持つもの。城の手前にある聖母被昇教会とともに、17〜18世紀に大通りを中心に築かれていきました。
レドニツェ城
ヴァルチツェ城から8kmほど離れたリヒテンシュタイン公爵の離宮だった場所。城は1570年代のルネサンス様式で築かれると、やがてバロック様式や古典様式などで改修され、現在の外観は1850年の新古典様式で改築された時のもの。
レドニツェとヴァルチツェの文化的景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
レドニツェとヴァルチツェが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
レドニツェとヴァルチツェの文化的景観は、自然の景観の中で歴史的な建造物などが調和する、人類の傑出した創造的な芸術作品であるという点。
登録基準(ii)
ここはバロック様式、古典主義様式、新古典主義様式などの建築物を組み合わせ、庭園は英国式のロマン主義の景観を入れたことで、東欧における景観モデルとしての役割があったということ。
登録基準(iv)
レドニツェとヴァルチツェの文化的景観は、啓蒙主義とロマン派の時代を経て、一つの公爵家によって意図的に設計された文化的景観の優れた例であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
リヒテンシュタイン公爵家はリヒテンシュタインだけでなく、ヨーロッパ各地に土地を持っていて、その中でもここは彼らによって設計された、城や庭園、池、森林などの人工的な景観が広がっていて、バロック様式や古典主義様式、新古典主義様式の建造物が自然の中で融合しているという点で評価されています。
ちなみに、リヒテンシュタイン公国はよくネタになるほどのミニ国家となっていますが、実は…歴代のリヒテンシュタイン公はハプスブルク家の部下であったために彼らはずっとウィーンに住んでいたのです。しかし、第二次世界大戦後は東欧にあった土地は多くが各国政府に奪われてしまったために現在のリヒテンシュタイン公国の土地はオーストリアとスイスの間にある小さなエリアだけ。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。