登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4) |
登録年 | 2007年 |
中国南部の関平市には、約1800もの望楼が残っていて、これらは見張り台・避難所・家屋という機能を持っていました。望楼は中国から北アメリカや南アジアに渡った華僑によって建造された、4〜5階建ての多層建造物で、中国の伝統建築とヨーロッパの建築様式の建築様式が融合したもの。
ここでは開平楼閣と村落がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、開平楼閣について詳しくなること間違いなし!
開平楼閣と村落とは?
広東省の南西部に位置する開平市は田園地帯。ここは19世紀に中国北部からの移民である客家と現地の住民との間に抗争が勃発したことで、その争いから避けるために、多くの労働者が華僑として19世紀後半から20世紀初頭にかけて、北アメリカや南アジアに渡りました。望楼そのものは、水害や盗賊などから逃れるための避難所として、明の時代から存在していましたが、海外に渡った華僑が故郷に住む家族のための資金援助によって、4〜5階建ての派手な装飾を加えた多層建造物がこの地域に建造されるようになったのです。
望楼の数はなんと1800ほど存在していますが、世界遺産としては4つのエリアにある20棟が登録。これらは住居、避難所、見張り台としての機能を持ち、石や日干しレンガ、粘土などを使用して建造され、中国の伝統建築とヨーロッパの建築様式の建築様式が融合したもの。しかし、1940年代になると、アメリカとカナダでは移住制限を解除したため、華僑の家族が海外へと移住し、次第に望楼は建造されなくなっていきました。
開平楼閣と村落はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
開平楼閣が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
開平楼閣は、北アメリカや南アジア、中国などの特定の文化圏における、人間の価値観の交換を示すものであるという点。
登録基準(iii)
開平楼閣は、もともとは見張り台や避難所としての機能があり、これらは海外で活躍した華僑の富によって築かれ、盗賊の侵入を防ぐものになったということ。
登録基準(iv)
開平楼閣は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて、北アメリカや南アジアへ渡った華僑が重要な役割を果たし、各地の文化の融合を示した建造物であるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
広東省に位置する開平は、田園地帯であるために、水害や盗賊による被害を防ぐために楼閣を建造するという文化があったのですが、19世紀に現地の中国人たちが海外で労働することで多大な富を築き、豪華な楼閣が築かれるように。それらは北アメリカや南アジアなどとの文化の融合を示すものであるという点で評価されています。
ちなみに、客家は移民であるために土地を持つことがなく、商業などの仕事をすることが多く、教育熱心であることから「中国のユダヤ人」と呼ばれることも。そのため、エリート層を輩出することもあり、孫文や鄧小平など、国の指導者の出身が客家系であったりします。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。