アルジェリアの世界遺産「アルジェのカスバ」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (5)
登録年1992年

アルジェリアの首都アルジェ。街の北側の丘の上に築かれた旧市街があり、ここはオスマン手国が築いた城塞から発展した都市で、16世紀にアルジェを支配した海賊ハイレッディンによって豪華な宮殿やモスクなどが建造されました。

ここではアルジェのカスバがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アルジェのカスバについて詳しくなること間違いなし!

目次

アルジェのカスバとは?

アルジェのカスバ
画像素材:shutterstock

アルジェがある場所は紀元前15世紀頃にフェニキア人が街を設立したとされるほどに歴史ざ深いものの、現在のアルジェの起源は10世紀にベルベル人の王朝・ズィール朝によって築かれたもの。アルジェは「島々」から由来するアラビア語でした。16世紀に当時ここを支配していたオスマン朝が街の北側の丘に城塞(カスバ)を建造され、それから旧市街が形成されたことから、旧市街全体を「カスパ」と呼ぶようになりました。

16世紀に海賊であり、オスマン帝国海軍の提督ともなった、「赤ひげ」ことバルバロス・ハイレッディンがスペイン人からこの街を奪取。彼はオスマン帝国によって地方長官に任命されると、豪華な邸宅や宮殿を建設しました。装飾された説教壇(ミンバル)などで知られる、11世紀建造の「アルカビール・モスク」や17世紀建造のランタンを持つミナレットで有名な「ジェディッド・モスク」などが現在も残ります。旧市街として白い町並みは残っているものの、その建造物は老朽化が激しく、崩壊の危機に瀕しています。

アルジェのカスバはどんな理由で世界遺産に登録されているの?

アルジェのカスバ
画像素材:shutterstock

アルジェのカスバが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
アルジェのカスバは、北アフリカの伝統的な様式とイスラム様式が混在した都市計画で、これらは16〜17世紀にかけて北アフリカを中心にヨーロッパのイベリア半島やサハラ砂漠の南方まで影響を与えたという点。

登録基準(v)
アルジェのカスバは、城塞やモスク、宮殿などで構成され、地中海沿岸のイスラム都市として優れた例であったということ。

世界遺産マニアの結論と感想

アルジェのカスパは、城塞はもちろん、モスクや宮殿など伝統的な建築が並ぶイスラム都市で、地中海沿岸のイスラム都市として、北アフリカやその周辺の都市に影響を与えたという点で評価されています。

ちなみに、ハイレッディンはバルバリア海賊と呼ばれる海賊で、彼らの目的は地中海沿岸に住むキリスト教の人々を北アフリカに連れていき、奴隷化すること。バルバリア海賊の襲撃によって、ヨーロッパの港町は度々被害に遭ったので、19世紀まで海岸沿岸には人々がまともに住むことができなかったとされるほど。彼らからすれば恐ろしい海賊だったのです…。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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