登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3), (4), (5) |
登録年 | 2003年 |
南アフリカ北東部に位置するマプングブエは、サバンナの中に岩山が点在する地。巨大な岩山の上には10〜14世紀にインド洋の交易で繁栄したマプングブエ王国の首都があり、ここには宮殿や要塞の跡が残っていて、象牙や金、交易品の磁器やガラスなどの交易品が発見されています。
ここではマプングブエの文化的景観がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マプングブエについて詳しくなること間違いなし!
マプングブエの文化的景観とは?
北はジンバブエ、西はボツワナとの国境近くに広がるマプングブエは、アフリカ南部で10〜14世紀に繁栄したマプングブエ王国の首都であった場所。ここは川の合流点であり、聖なる山として崇められていた丘を中心にして集落が広がっていて、後にボツワナやジンバブエを支配したショナ王国のルーツでもあります。マプングブエ王国は、東アフリカの港を経由してインドや中国まで、金や象牙などを輸出し、当時はなかなか手に入らない中国の磁気やペルシャのガラス玉などを輸入して莫大な富をもたらしました。そして、王国が輸出していた王権のシンボルであった金箔のサイの像なども発見。
ここはアフリカでも有数の都市で、丘の上は6世紀から使用された跡が残っていますが、12世紀には聖域として宮殿が築かれ、首都であった時代の遺構、要塞、墓所などが発見されました。特に丘の上であったため、王は周囲の集落にいる平民から隔離する環境で独自に発展したもの。しかし、13世紀末になると、気候変動によって寒冷化、乾燥化して洪水量が減ると、伝統的な農業では暮らしが維持できなくなり、住民は北方へ移動し、ジンバブエ王国(1220〜1450年)などを築きました。
マプングブエの文化的景観はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
マプングブエが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
マプングブエの文化的景観は、10〜14世紀の間にアフリカ南部の文化や社会の変化をもたらした、人類による重要な価値観の交換が見られるという点。
登録基準(iii)
マプングブエの文化的景観は、アフリカ最大の王国の一つであったマプングブエ王国の発展と衰退を示す証拠であるということ。
登録基準(iv)
マプングブエは、東アフリカの港を経由してアラブ、インドと交易した強大な国家であり、都市遺跡はアフリカの歴史における重要な段階であったという点。
登録基準(v)
マプングブエの文化的景観は、気候変動の影響を大いに示し、マプングブエ王国の発展と衰退を示すということ。
世界遺産マニアの結論と感想
マプングブエは、アフリカでも最大の王国の一つであったことを示す遺跡で、ここはインドや中国などと交易したことでその影響が見られ、気候変動により衰退したことを示す一連の証拠が残るものであるという点で評価されています。
ちなみに、丘の上の遺構は4段落に渡って建造されていて、初期は農民も丘の上で暮らしていたのですが、その後は王族だけが暮らす地となり、階層社会が見られます。そして、この王族と住民たちをつなぐ「首長」のような王国No.2の存在がいて、丘のふもとには公会堂が築かれました。まるで現在の日本の政治システムのようですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しになては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。