イタリアの世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(3), (4), (5)
登録年1993年

イタリア南部・バジリカータ州にあるマテーラには、サッシと呼ばれる洞窟住居があり、保存状態もよいことで知られます。ここは旧石器時代に遡るほどに古い歴史を持ち、洞窟を利用した住居は人類の歴史における重要な段階を示しています。

ここでは、マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、マテーラについて詳しくなること間違いなし!

目次

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園とは?

サッシ(洞窟住居)/マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園
画像素材:shutterstock

イタリア南部のバジリカータ州にあるグラヴィナ渓谷では、人々が洞窟を利用して住宅を作り、この地に住み着きました。その後、現在のマテーラの旧市街では、サッシ(洞窟住居)や教会、修道院などが造られ始め、世界でもユニークな風景を眺めることができます。保存状態もよく、1000を超えるサッシは今でも店舗や工房として利用。

世界遺産として登録されているのは、サッシが集まる旧市街と街の南東に広がるムルジャ・マテラナ公園(岩窟教会公園)の2つで構成されています。このエリアは旧石器時代から人が住み始め、渓谷の地形を利用しつつ数千年に渡って人が住み続けているのです。

旧市街

旧市街/マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園
画像素材:shutterstock

この地に人々が住み始めたのは旧石器時代から。サッシが作られた時期ははっきりとはしていませんが、ギリシャの植民地になると、古代ギリシャの哲学者ピタゴラスの思想を引き継ぐピタゴラス学派によって、高度な技術を利用したサッシが作られ始めます。

8世紀になると、キリスト教の修道士が住み始め、岩窟教会も多く作られるようになりました。巨大な岩を削って作られたサンタ・マリア・デ・イドリス教会などが造られたのもこの頃。13世紀になるとロマネスク様式の大聖堂も建造され、街の規模も拡大していきます。

しかし、17世紀になると、人々はより快適な新市街に住み始め、サッシに住む人々は貧民層だけになっていきました。人口が増えていくと、衛生状態も悪くなっていき、1950年には強制的に郊外へと住民は強制移住。廃墟となっていた旧市街は、世界遺産に登録されると観光地へと変化。かつてのサッシはホテルやレストラン、お土産屋として利用されています。

ムルジャ・マテラナ公園(岩窟教会公園)

ムルジャ・マテラナ公園(岩窟教会公園)/マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園
画像素材:shutterstock

街の南西にあるムルジャ高原に広がる公園で、深い断層や峡谷、洞窟などが点在。ここには、旧石器時代から人々が住み始め、集落なども発見されており、洞窟を掘って造られた教会跡などが見られます。

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園
画像素材:shutterstock

マテーラが評価されたのが、以下の点。

登録基準(iii)
洞窟住宅は地形を活用し、2000年以上に渡って継続的に人が住み続けたということを示すという点。

登録基準(iv)
洞窟住宅と関連する建築物は、人類の歴史における重要な段階を示しているということ。

登録基準(v)
地形を利用した優れた例である洞窟住宅は自然との関係を長期に渡って維持してきたということ。

世界遺産マニアの結論と感想

洞窟住居は旧石器時代から人々が住み始め、渓谷の地形を活かし、技術の発展とともに最近まできちんと住宅として機能していたという点で評価されています。

そして、マテーラはヨーロッパであるのに、異世界感が強く、まるで中東の渓谷沿いに作られた集落のような雰囲気があります。そのためか、よく映画のロケ地として利用されていて、メル・ギブソン監督の『パッション』で、ここで撮影され、マテーラは「聖地エルサレム」の風景として利用されていました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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