登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(2),(3),(4),(5),(6) |
登録年 | 1987年 |
中国西部にある敦煌はシルクロードの中継地点として栄えた都市。ここは1000年以上も栄えた世界最大級の仏教石窟寺院で700以上もの石窟があります。石窟には美しい壁画や仏像が残され、ここは仏教美術の宝庫とも呼ぶべき場所。
ここでは、敦煌の莫高窟がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、莫高窟について詳しくなること間違いなし!
敦煌の莫高窟とは?美しい壁画が多く残っている
石窟には美しい壁画と仏塑像が多く残存
莫高窟の読み方は「ばっこうくつ」。中国西部にある甘粛省敦煌市は、かつてシルクロードの中継都市として、文明の交差路であった場所。敦煌から南東約25kmに位置するのが、仏教美術の宝庫である莫高窟。中国三大石窟の一つで、世界でも最も規模の大きい仏教石窟寺院です。
この地に石窟が作られたのは前奏時代の366年。西方からやってきた僧である楽僔が最初に石窟を建造すると、ここは4〜14世紀まで1000年に渡って石窟が作られ続けました。現在は700以上もの石窟が、鳴沙山(めいささん)の東の断崖に、総面積4万5000平方mに渡って壁画が続き、2000ヶ所以上の仏塑像が点在します。石窟は最初は西方の影響が強かったものの、隋や唐の時代のものが多く、徐々に中国の影響が強くなりました。壁画にはさまざまなものが描かれ、シルクロードを行くキャラバン隊や文殊菩薩などの仏教関連まで幅広いのが特徴。
ここで発見された「敦煌文書」は古代東洋文明最大の発見?
14世紀、近くに万里の長城の最西部として嘉峪関が完成すると、敦煌は次第に忘れられていきます。再び脚光を浴びるのは1900年。とある石窟から発見されたのが「敦煌文書」。この文書は経典や写本、絵画など、数万点にも及び、当時の生活や政治を知る貴重な資料として、古代東洋文明の最大の発見として高く評価されています。
敦煌の莫高窟はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
莫高窟が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
石窟には、総面積4万5000平方mに渡って壁画が続き、2000ヶ所以上の仏塑像が点在するという、中国美術の傑作であるということ。
登録基準(ii)
ここは4〜14世紀の1000年間に渡って、中国と中央アジアの芸術の交流において大きな役割を果たしたという点。
登録基準(iii)
莫高窟に残る壁画は、隋、唐、宋の時代の中国文明の様子を現在に残しているということ。
登録基準(iv)
莫高窟は、仏教壁画の優れた例であるという点。
登録基準(v)
19世紀後半〜1930年まで、僧にとって管理されており、莫高窟はその時期に保護されてきたということ。
登録基準(vi)
莫高窟はシルクロードの中継都市としてアジアの仏教の伝道の歴史に関わっていて、敦煌文書にはチベット語やサンスクリット語の経典もあり、文化が交差する場所であったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
世界文化遺産としては珍しく、登録基準(i)〜(vi)まで全部評価されているのは、敦煌とイタリアの「ヴェネツィアと潟」の2つだけ。莫高窟の芸術的価値の高い壁画や仏塑像は、シルクロードを介して中国と中央アジア、そして、西アジアからチベットまで多くの地との交流が見られるということ。そして、敦煌文書が発見された地として、文化の交差路としての評価されているのもポイント。
ちなみに、敦煌文書は11世紀ころの東西の交流が分かる文書であるのですが、なぜ中国で大事にされているのかというと「無価値の文書」が存在していたからです。つまり、土地台帳など、すぐに捨てても困らないものを残しておいたからこそ、当時の制度などが分かるというもの。メモ帳でも時代が経てば、歴史的な価値が出るものかもしれませんね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。