ドイツ・ポーランドの世界遺産「ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(4)
登録年2004年

ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園は、ドイツとポーランドの国境にまたがるイギリス式の庭園です。もともと一つの公園だったのですが、ドイツ側はムスカウ公園、ポーランド側はムジャコフスキ公園として第2次世界大戦後に分断。公園内には地元の植物が植えられており、風景に溶け込むように配置した庭園用式は、ヨーロッパとアメリカの造園にも影響を与えました

ここでは、ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園について詳しくなること間違いなし!

目次

ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園とは?

古城/ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園
画像素材:shutterstock

公園はドイツとポーランドの間を流れるナイセ川にまたがって広がっています。この公園はこの地に生まれたヘルマン・フォン・ピュックラー=ムスカウ侯爵が1815〜1845年に庭として造園したもの。

彼はイギリスを旅行し、当時ヨーロッパで流行していた、風景を中心とした造園法をここに取り入れました。その後、彼はこの公園を手放すことにはなりますが、彼が設計した、地元の植物を使用し、それを風景画のように溶け込むように配したデザインは、やがて世界中の造園のモデルとなりました。

公園は合計で348haもあり、ドイツ側は136ha、ポーランドは212ha。公園内には、ナイセ川が形成した渓谷を取り入れて景観を構成。ピュックラーの住まいであった古城や新城はもちろん、建設物は川沿いに沿って配置され、それが景観に溶け込むように構成されていました。彼は公園を近隣のバートムスカウの町まで拡張することで、緑を取り入れた都市デザインの基礎を築いたのです。

しかし、第2次世界大戦の際にこの地は戦場となり、その後はナイセ川に国境線が敷かれ、庭園は2つの国に分断されました。

ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

新城/ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園
画像素材:shutterstock

ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
ピュックラーの理想とした景観をここに表現したことが、ヨーロッパとアメリカの造園に影響を与えるほどの新境地を作り出したということ。

登録基準(iv)
ムスカウ公園/ムジャコフスキ公園は、都市公園の新しい様式であり、ヨーロッパやアメリカの造園建設に影響を与えたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

パックラーこだわりの公園は、地元の植物を風景画のように配置して庭園の新境地を作り出したもの。これはその後のヨーロッパやアメリカの造園様式に大きく影響を与えたというのが評価のポイントです。

ちなみに、ピュックラーは芸術家でもあり、熱心な旅行家でもあり、ヨーロッパ中を旅をしました。そして、相当なグルメだったようで「ピュックラー・アイス」という独自のアイスクリームを開発し、これは今でも販売されているほど。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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