ベトナムの世界遺産「ミーソン聖域(遺跡)」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2),(3)
登録年1999年

ベトナム中部にあるミーソンはかつて栄えたチャンパ王国の聖地でした。ここは4〜13世紀にシヴァ神崇拝の聖地になった場所で、多くの祠堂が建造。ベトナム戦争によって破壊されましたが、チャンパ王国の文化を今に伝える遺跡です。

ここでは、ミーソン聖域(遺跡)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ミーソン聖域について詳しくなること間違いなし!

目次

ミーソン聖域(遺跡)とは?

ミーソン聖域(遺跡)
画像素材:shutterstock

ミーソン聖域は、ベトナム中部クアンナム省にあるヒンドゥー教の遺跡群。トゥポン川沿いの盆地に築かれたもので、中心都市ダナンから南へ約40kmの位置にあります。ここはかつてのチャンパ王国(192〜1832年)の聖域として使用されていたもの。チャンパ王国とは2世紀から19世紀までベトナム中部〜南部にかけて繁栄した王国。ここは中国や中東などの交易で繁栄し、国民はヒンドゥー教やイスラム教などを受け入れてきました。よってミーソンでは、ヒンドゥー教の寺院が並びます。

ここはヒンドゥー教を受け入れた時期に築かれたもので、4〜13世紀にかけて、シヴァやヴィシュヌなど、ヒンドゥー教の神を崇拝する祠堂が多く築かれました。建造物は精巧なレンガ造りになっていて、インドやカンボジアの建築様式の影響を受けているものの、チャンパ王国の技術力の高さが見られます。塔の置かれた寺院の屋根は、神々が住むスメール山(須弥山)をイメージしていて、これらはヒンドゥー教の宇宙観を示したもの。

ミーソン聖域(遺跡)
画像素材:shutterstock

チャンパ王国を構成していたと考えられるチャンパ人で、彼らの末裔と考えられているチャム人は、今でもこの地に暮らしていて、伝承によれば、チャンパの建造物を作った職人は山岳民族だとされています。

遺跡は20世紀初頭にフランス人によって発見されたものの、ベトナム戦争で大幅に破壊。現在はグループB、C、Gなどの遺構は比較的保存状態が良好ですが、それ以外の遺構は修復されていたり、土台だけ残っていたりします。

ミーソン聖域(遺跡)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ミーソン聖域(遺跡)
画像素材:shutterstock

ミーソン聖域が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ここはインドから伝道されたヒンドゥー教の芸術や建築物が残り、各地と文化交流が行われていたということを示すという点。

登録基準(iii)
ミーソンの遺跡は、東南アジアの中でも交易で栄えたチャンパ王国の足跡が見られるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

大半は破壊されてしまったものの、ミーソン遺跡は、かつて東南アジアで交易で栄えたチャンパ王国の繁栄が見られるという点で評価。そして、チャンパ人が受け入れたヒンドゥー教の祠堂などが残り、独自に発展した宗教建築物が見られるというのもポイント。

ちなみに、ベトナム戦争で破壊された遺跡は、さまざまな団体から保護助成が行われれたのですが、その中に日本のトヨタ財団も加わっています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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