登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (4), (6) |
登録年 | 2016年 |
インド北東部にあるナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡は『西遊記』に登場する天竺でもおなじみのナーランダー僧院として有名な教育機関があった場所。遺跡にはストゥーパ(舎利塔)やヴィハーラ(精舎)などが残り、ここは紀元前3世紀から紀元13世紀まで仏教にまつわる教育が行われた、インド亜大陸の最古の大学でもありました。
ここではビハール州ナーランダーのナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡について詳しくなること間違いなし!
ビハール州ナーランダーのナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡とは?ナーランダー僧院のこと?
インド北東部に位置するビハール州の南部にあるナーランダー。ここにはかつてインド最古の大学として知られるナーランダー僧院があった場所。「マハーヴィハーラ」とは「偉大な精舎(大僧院)」の意味で、紀元前3世紀から紀元13世紀まで運営されていた全寮制の大学でもありました。
7世紀には、はるか北方の中国から多くの巡礼者がここを訪れ、『西遊記』の三蔵法師のモデルである玄奘三蔵も仏典の原典を求めてこの地を訪れて学びました。彼はここから657部の経典を長安(現・西安)に持ち帰り、東アジアの大乗仏教に大きな影響を与えています。
しかし、インドで徐々に仏教が衰退していくと、大僧院は13世紀にイスラム王朝であった奴隷王朝の将軍ムハンマド・バフティヤール・ハルジーによって破壊。これによりインドの仏教はほぼ滅亡してしまうのです。
その後、施設は修復されて利用されたものの、15世紀以降は遺跡となってしまいます。遺跡には、ストゥーパ(舎利塔)やヴィハーラ(精舎)を含め、化粧漆喰や石、金属などで作られた芸術作品が点在。ここは仏教の発展の歴史と学問の繁栄を示す遺跡でもあります。
ビハール州ナーランダーのナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ナーランダー・マハーヴィハーラ考古遺跡が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iv)
ナーランダー・マハーヴィハーラは大僧院として発展し、これは後の南アジア・東南アジアなどで拡大した仏教に関係する教育施設や芸術作品における基礎となったという点。
登録基準(iv)
ナーランダー・マハーヴィハーラは、教育の中心地として中世インドの教育機関であり、その後のインドの教育制度に影響を与え、アジアの教育施設の基礎となったという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ナーランダー僧院というと、『西遊記』における天竺のイメージが強い人もいると思いますが、仏教の本拠地といったイメージにぴったりの場所で、ここは仏教における教育機関の原点となった存在。ここで確立された教育システムや建築様式は、インドだけでなく、東南アジアなどにも伝来していったという点で評価されています。
残念ながら13世紀には破壊されてしまったナーランダ大学ですが、なんと2014年にインド政府の尽力によって復活し、授業が約800年ぶりに再開。近代的なキャンパスも完成予定で、アジア最大級の大学になるとのこと。玄奘三蔵が学んだナーランダーは現在でも多くの若者が学問を学ぶ機関として存続しているなんて感慨深いですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。