登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (4) |
登録年 | 1987年 |
トルコ南東部にあるネムルト・ダウ(ネムルト山)の山頂には、5つの坐像が並ぶ巨大墳墓があります。ここは、コンマゲネ王国のアンティオコス1世(紀元前69〜34年)の霊廟とされていて、ギリシャとペルシャの神々が並ぶという、コンマゲネ王国の文化が見れられるもの。
ここではネムルト・ダウ(ネムルト山)がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ネムルト・ダウについて詳しくなること間違いなし!
ネムルト・ダウ(ネムルト山)とは?
トルコ南東部にあるネムルト山は、標高2134mとこの周囲の山々でも最高峰。この山の山頂には、紀元前1世紀に建造された、コンマゲネ王国のアンティオコス1世(紀元前69〜34年)の霊廟があります。
コンマゲネ王国は、紀元前4世紀後半にアレクサンドロス大王によって征服されると、セレウコス朝のサトラップ(総督)に統治されていましたが、紀元前162年に独立。アンティオコス1世はローマ帝国との巧みな外交により、独立を維持し、さらに王国は天然資源に囲まれ、交易でも繁栄しました。しかし、紀元1世紀になるとローマ帝国に編入されてしまいます。そして、ネムルト山の霊廟は、遺跡となって1881年に発見され、1953年から調査が始まりました。
全盛期を築いたアンティオコス1世は、ネムルト山の山頂に葬られることで、神格化を図ったとされています。山頂は、高さ約50m(かつては75m)、直径約150mの円錐形の巨大な墳墓とされる丘となっていて、これは人工的に作られたもの。東西にテラスが置かれています。
東のテラスには、5つの坐像が並べられています。ここには、アポロン、ゼウス、ヘラクレス、女神フォルトゥナ、アンティオコス1世の巨像に、獅子とワシの像が並ぶというもの。しかし、巨像はほぼ崩壊していて、頭部は像の手前に置かれています。ここでは古代ギリシャとペルシャの神々が混ざっている点が独特で、これはギリシャ、ローマとペルシャの影響を受けているという証拠でもあります。
西のテラスには、石版が置かれていて、中にはアンティオコス1世が神々と握手をするという場面が刻まれていますが、これは神々と対等の存在であるということを示すものであったとされています。そして、木星、水星、火星を星を眺める獅子が描かれたレリーフは、紀元前62年にこの3つの星が並んだことを示すもの。
ネムルト・ダウ(ネムルト山)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ネムルト・ダウが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
アンティオコス1世の霊廟とされるものは、ネムルト山の自然に囲まれ、ヘレニズムにおける最も巨大な建築物の一つであるという点。
登録基準(iii)
ネムルト山は、ローマとペルシャの間で独立を保ったコンマゲネ王国の文明を証明するということ。
登録基準(iv)
ネムルト山の建造物は、ギリシャ、ペルシャ、アナトリアの文化が混在した、独創的なものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ネムルト山に残る遺跡は、かつてこの地で栄えたコンマゲネ王国の繁栄を示すものであり、ローマとペルシャの間で独立を保った独自の混合文化が見られるという点で評価されています。
実際のところ、これは「霊廟」か?と言われると、アンティオコス1世の玄室が発見されていないため、「霊廟」と言い切れないという事情もあります。よって、ここは儀式を行う場所ではないのか?という説もあって、結論が出ていません。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。