登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (2), (3), (4) |
登録年 | 1987年 |
メキシコ南部のオアハカは、16世紀に建造された植民都市。町にはメキシコの文化を取り入れたバロック様式の建造物が並んでいます。そして、郊外にあるモンテ・アルバンの遺跡は、紀元前500年から紀元800年頃までサポテカ人が暮らした保存状態の良い都市遺跡。
ここでは、オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、オアハカとモンテ・アルバンについて詳しくなること間違いなし!
オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡とは?
オアハカ歴史地区
メキシコ南部のオアハカ州の州都で、南シエラマドレ山脈の中にある標高1550mの高原都市。ここは、もともとは原住民であったサポテカ人によって16世紀に設立されたものの、その後スペイン人がこの地を征服すると、碁盤の目のような整然とした都市になりました。
歴史地区には合計で1200もの古い建造物が残る都市。16〜18世紀にかけて大聖堂が建設、そして、17世紀になるとラ・ソレダー教会などが造られ、これらはバロック様式を基盤としており、そこにイスラムの要素を入れたムデハル様式やメキシコ土着の文化などを加えたもの。そして、地震の多い土地のため、厚い壁を加え、低層の建物にしているのも特徴。
ラ・ソレダー教会
歴史地区の西側に位置する17世紀建造の聖堂。バロック様式の壮麗な建築物であるものの、耐震性を高めるために尖塔は低く設計されています。オアハカの守護聖人である「悲しみの聖母」の像があることで有名。
モンテ・アルバン
オアハカ市内から西へ約10kmの位置にある、小高い丘の上に築かれた都市遺跡。ここは紀元前500年頃から紀元800年頃まで繁栄したサポテカ文明の都市でした。
ここは原住民であったサポテカ人によって築かれた都市で、現在見られる建造物は、古典期に相当するIII期(3〜8世紀頃)のもの。しかし、それ以前の建造物も残っていて「踊る人々の神殿」などは、先古典期の建造物で140以上の踊る人々が刻まれています。
3世紀以降はピラミッドなどが建造。現在のメキシコシティにあったテオティワカンとの交流が見られ、この時期が最盛期でした。5世紀頃は2万5000人もの人口を抱える大都市になったものの、8世紀になると衰退したと考えられています。
そして、サポテカ人はこの都市を放棄した後、10世紀になるとミステカ人によって聖域となり、北側に祭壇が築かれました。
オアハカ歴史地区とモンテ・アルバンの古代遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
オアハカとモンテ・アルバンが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
オアハカは16世紀のスペインの植民都市時代の区画が残り、モンテ・アルバンの聖域は、芸術的な景観を今に残しているという点。
登録基準(ii)
モンテ・アルバンは1000年以上にも渡って、オアハカ周囲の文化圏に影響を与え、オアハカは植民都市として完璧な計画であり、この都市計画は他の植民都市に影響を与えたということ。
登録基準(iii)
モンテ・アルバンは、メキシコ中央部の古代の宗教施設の優れた例で、神殿や球技場、墳墓、文字が刻まれた記念碑など、これらの設備はメキシコで勃興したテオティワカン文明、マヤ文明、アステカ文明まで影響を与えたものであったという点。
登録基準(iv)
オアハカの渓谷には200もの遺跡があり、その中でもモンテ・アルバンはサポテカ人やミステカ人による建築物の発展が見られ、オアハカの歴史地区はメキシコ土着の文化とスペインの文化を融合して発展してきた都市であるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
この2つの遺産は、スペインによる征服以前とそれ以降の都市の発展がそれぞれ見られるという点で評価。特にモンテ・アルバンは、メキシコ高原の中でもかなり古い遺跡で、それ以降に興った文明にも影響を与えています。そして、オアハカの歴史地区はメキシコとスペインの文化を融合し、他の植民都市の設計にも大きく影響を与えているというのもポイント。
ちなみに、オアハカには「オアハカチーズ」という特産品があって、イタリアのモッツァレラチーズのようなものが名物。味はモッツァレラチーズとよく似ているものの、メキシコでは水牛のミルクが手に入らなかったため、牛乳で作り、チーズを毛糸玉のように丸めるのが特徴です。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。