タジキスタンの世界遺産「サラズム-原始都市遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3)
登録年2010年

タジキスタンの西端部分に位置するサラズムは「地の始まるところ」を意味する言葉で、ここは紀元前4000〜3000年代にかけて人々が定住した中央アジアにおける最古の居住地の一つ。ここは中央アジアのステップ地帯からイラン高原、インダス川、インド洋から人々が集まることから、文化交流と交易の跡が見られ、農業と灌漑、放牧など、人類の定住における発展が見られる場所。

ここではサラズム-原始都市遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サラズムについて詳しくなること間違いなし!

目次

サラズム-原始都市遺跡とは?

画像素材:shutterstock

ウズベキスタンとの国境近く、ソグド州のパンジャケント地区のザラフシャン渓谷沿いに広がる都市遺跡。ここは「地の始まるところ」という意味で、紀元前4000〜3000年代にかけて繁栄した中央アジアにおける最初の都市遺跡の一つで、農業や牧畜、そして、青銅器時代に発展した鉱物資源があることから鉱業が発展し、金属の加工業まで行われ、人間の定住の過程が見られるのが特徴。

ここはメソポタミア(現在のイラク南東部)からインダス川、イラン高原に至る広大なステップ地帯であり、多くの地域との文化交流が行われ、遺跡からは各地との交易関係にあったことを示しています。しかし、紀元前2000年代になるとインド・イラン語族が侵入して、都市は衰退。しかし、紀元前1500年ころにはまた復活していて、今度は周辺から採れるトルコ石の産出地として繁栄していてたと考えられています。

サラズム-原始都市遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

画像素材:shutterstock

サラズムが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
サラズムは紀元前4000年から中央アジアの遊牧民と、マー・ワラー・アンナフル(中央アジア南部のオアシス地域)の農耕民族との文化的交流を示し、青銅器時代には鉱業と加工業で繁栄し、各地との大規模なネットワークも見られ、中央アジアだけでなく、メソポタミア文明やインダス文明などと交流があったという点。

登録基準(iii)
サラズムは、紀元前4000年から3000年にいたる中央アジアの原始都市遺跡であり、金属、特に鈴と銅の加工、それに伴って道具や陶器、宝飾品などの手工業の発展において非常に重要な役割を果たしました。これによりユーラシア横断の交易ルートを生み出し、その発展が見られる場所の一つであるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

サラズムは、紀元前4000〜3000年代には都市が存在していたとされていて、ここは鉱業やその加工業が発展し、遊牧民と農耕民族との交流だけでなく、メソポタミアやインダス文明などと幅広く交易を行い、その都市の発展が見られるという点で評価されています。

ちなみに、タジキスタンは長らく内戦が続いて、中央アジアでも最貧国ではありましたが、現在はアルミニウム生産が盛んですし、麻薬の密売なども取り締まっていて、成長著しい国でもあります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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