登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (3) |
登録年 | 1992年 |
エーゲ海でもトルコにほど近いサモス島は、ギリシャ神話に登場する全能の神ゼウスの妻ヘラの生誕地として有名。ここではヘラを祀ったヘラ(ヘーラー)神殿と、都市国家サモスの中心であったティガ二(現在のピタゴリオ)の防壁や宮殿跡が世界遺産に登録されています。
ここではサモス島のピタゴリオとヘーラー神殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ピタゴリオとヘーラー神殿について詳しくなること間違いなし!
サモス島のピタゴリオとヘーラー神殿とは?
エーゲ海東部、アナトリア半島のすぐそばにあるサモス島は、先史時代から中世まで周囲の政治と文化の中心地でした。紀元前10世紀にギリシャ本土からやってきたイオニア人によって築かれ、紀元前6世紀には地中海東部において主要な交易都市として繁栄。
現在は島内も南東部にある古代都市ティガ二(現在のピタゴリオ)と、そこから約6kmほど離れたヘラ神殿が世界遺産に登録されています。
ピタゴリオ(ティガ二)
サモス島の南東部にある港町ピタゴリオは、都市国家であったサモスの中心都市でした。古代ギリシャの僭主ポリュクラテスが6世紀に支配するようになると、ピタゴリオは最盛期に。彼によって壮麗な宮殿が建造され、これは現在では遺跡となっています。
他にも、技師エウパリヌスが建造した古代の地下水路が残っていて、生活用水のために山から都市まで約1.4kmもの水路が続くという壮大なもの。「万物は数なり」と説いた数学者ピタゴラスの出身地であったことからも、この街の文化の繁栄が見られます。
ヘラ(ヘーラー)神殿
最初の神殿は紀元前8世紀に存在していましたが、紀元前7世紀には列柱廊を加えた神殿へと再建。紀元前6世紀には建築家テオロドスとロイコスによって、二重周柱式のイオニア式の神殿が建造されましたが、戦争で破壊。そして、4番目の神殿は、僭主ポリュクラテスの命によって、20mの柱が155本並ぶという古代ギリシャ最大のイオニア式神殿を目指し、250年ほどに渡って工事が続けられたものの、未完成で終わってしまいます。
4度も造営を繰り返した神殿でもありましたが、最終的にはこの地を侵攻してきたゲルマン人によって破壊され、現在は一本の円柱と遺跡のみが残存。
サモス島のピタゴリオとヘーラー神殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ピタゴリオとヘーラー神殿が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サモス島のヘラ神殿は、4回も刷新しながら発展したことから、ギリシャ世界の神殿や公共の建築物に大きな影響を与えたという点。
登録基準(iii)
サモス島は、紀元前6世紀に商業で繁栄した都市国家で、島に残る遺跡からは当時の繁栄が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
サモス島は、今ではあまりイメージはないかもしれませんが、商業で栄えた都市国家で遺跡からはその繁栄が見られるという点で評価されています。そして、ヘラ神殿はサモスの繁栄の象徴であるほどに広大とされる神殿で、何度も刷新してきたため、その建築様式はギリシャ世界へと広まっていったというのもポイント。
ピタゴラスは「ピタゴラスの定理」があることから、彼が発見したと思われがちですが、実は紀元前20~16世紀のバビロン第1王朝時代にはあったとか、エジプト中王国から存在したとされるという説もあり、割と古代ギリシャでは知られていたのもかもしれませんね。…なぜこの定理にピタゴラスの名が使われたのかは不明ですが。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。