登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4), (5) |
登録年 | 2003年 |
アルゼンチン北部、アンデス山脈から流れるグランデ川沿いの渓谷は、先史時代の集落跡やインカ帝国時代の要塞などの遺跡が残り、この地が1万年に渡って交易路として繁栄したということを示す文化的景観が見られます。
ここではケブラダ・デ・ウマウアカがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ケブラダ・デ・ウマウアカについて詳しくなること間違いなし!
ケブラダ・デ・ウマウアカとは?

アルゼンチン北部に位置するフフイ州は、ボリビアとチリとの国境の近く、アンデス山脈に中でも高原地帯からグランデ川に浸食されたケブラダ・デ・ウマウアカ(ウマウアカ渓谷)が155kmも続くというエリア。ここはアンデスの高地と南米大陸の南東部の平原を結ぶ交易ルートとなっていて、渓谷には遺跡が点在し、1万年に渡って主要な交易路であったという証拠を残します。
ここは先史時代の狩猟採集の時代から農業共同体として繁栄した時代の遺跡、インカ帝国時代(1438〜1533年)の要塞、スペイン征服後に築かれた町や村、教会などが見られます。特にインカ帝国時代の要塞集落は「プカラ」と呼ばれ、遺跡には石壁が配されたテラス状の畑も残っていて、その中に植民地時代の教会や役所、石畳の街路、泥レンガで築かれた邸宅など、荒涼とした自然の中で伝統が入り混じるという文化的景観が広がっています。
ケブラダ・デ・ウマウアカはどんな理由で世界遺産に登録されているの?



ケブラダ・デ・ウマウアカが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
ケブラダ・デ・ウマウアカは、1万年に渡るアンデスの高地から南東部の平原まで人や文化を移動させた重要なルートの中継地であったということ。
登録基準(iv)
登録基準(v)
ケブラダ・デ・ウマウアカには、スペイン征服前に栄えたインカ帝国時代の要塞集落があり、それらは農業や交易において傑出した技術が見られ、景観も変えてきたという点。
世界遺産マニアの結論と感想
ケブラダ・デ・ウマウアカは、アンデス山脈の深い渓谷でここは平原地帯へと抜けるためのルートであったことから、人だけでなく、文化も伝えられ、インカ帝国時代の要塞集落など優れた遺構などを含めた景観が続くという点で評価されています。
ちなみに、現在のウマウアカは小さな町ではあるのですが、カーニバルの時期は盛り上がることで有名で、フォルクローレ(民族音楽)でも『ウマウアカから来た男(モノ)』といった楽曲がアルゼンチン国内でもよく知られています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。