ヨルダンの世界遺産「アムラ城」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (3), (4)
登録年1985年

首都アンマンから東へ約80kmの位置にある砂漠の城。アムラ城は「砂漠の城」ではあるものの、ここはウマイヤ朝(661〜750年)のカリフの離宮で、謁見の間や浴場などがある、カリフのための娯楽施設でした。そして、浴場ではイスラム教の教義とはほど遠い、裸婦をモチーフにしたフレスコ画など、イスラム教では珍しく世俗的な壁画デザインが見られます。

ここではアムラ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、アムラ城について詳しくなること間違いなし!

目次

アムラ城とは?

アムラ城
画像素材:shutterstock

アムラ城は、首都アンマンから砂漠を越えた位置にあるドーム型の屋根を持つ離宮のこと。8世紀に建造された、ウマイヤ朝時代の要塞であるのと同時に、カリフの隠れ家的存在の建造物でもありました。ここは隊商宿を増改築した宮殿であり、謁見の間とハマムで構成され、非常に保存状態の良いもの。そして、ドーム天井には星座が描かれていて、世界でも最初期に作られた天体図が見られるのも特徴。

特に大浴場と謁見の間のフレスコ画は、イスラム建築としては珍しい、異教でよく見られるデザインが残っています。謁見の間は、動物や鳥、踊り子が描かれていて、ギリシャ語とアラビア語の碑文が添えられているもの。そして、大浴場は温水・冷水浴室やサウナなどがあり、裸婦のフレスコ画など、厳格なイスラム世界とは異なる、カリフの隠れ家的存在であったと考えられています。

アムラ城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

大浴場のフレスコ画/アムラ城
画像素材:shutterstock

アムラ城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
アムラ城は、謁見の間とハマムの広大なフレスコ画があり、これは初期のイスラム芸術であると同時に、人物や狩猟などが描かれたビザンツ帝国時代から派生したものであり、ウマイヤ朝時代独特の芸術であるという点。

登録基準(iii)
アムラ城は、イスラム以前の世俗文化が見られると同時に、偶像崇拝を否定するイスラム芸術でもあるウマイヤ朝時代の様式も見られるということ。

登録基準(iv)
アムラ城は、フレスコ画が描かれた謁見の間とハマム、それに隣接する井戸、貯水池、排水管など、ウマイヤ朝当時の砂漠の建築物の例を示すということ。

世界遺産マニアの結論と感想

アムラ城は、カリフがお忍びで訪れた離宮であって、イスラム建築にしては珍しく、裸婦などが描かれたフレスコ画が見られるという点でユニーク。そして、砂漠にある施設だけあって貯水地や井戸、排水管など、水に関する高度なシステムが見られるというのもポイント。

ちなみに、イスラム建築では人物をモチーフにしたデザインは偶像崇拝を嫌う傾向にあり、非常に珍しいのですが、ウズベキスタンのサマルカンドのシェル・ドル・マドラサはなぜか、トラや人の顔が描かれています。世界遺産としてもなかなか見られないのですが、シェル・ドル・マドラサを建てた建築家は自殺したという伝説もあり、アムラ城はカリフ自らの建築物であったことから、ある意味「秘密の部屋」であった可能性は高いですね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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