ヨルダンの世界遺産候補「ウム・アル=ジマル」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分(暫定リストに記載)文化遺産
登録基準(暫定リストに記載)(5), (6)
申請年(暫定リストに記載)2018年

ヨルダン北部、シリアとの国境沿いにあるウム・アル=ジマルは、1世紀から8世紀まで人々が暮らしていたという都市遺跡。ここは砂漠の乾燥地帯に各時代の建築物が多く並んでいて、それぞれ保存状態も良好であるというのが特徴です。

ここではウム・アル=ジマルがなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウム・アル=ジマルについて詳しくなること間違いなし!

目次

ウム・アル=ジマルとは?

ウム・アル=ジマル
画像素材:shutterstock

ヨルダン北部に位置するマフラク県にあるウム・アル=ジマル。ここは1世紀から8世紀まで700〜800年に渡って繁栄した都市でした。1〜3世紀には、近郊のボスラの衛星都市として、砂漠の遊牧民ナバテア人が暮らします。当時は質素な石造りの家々が並んでいたものの、3世紀に近隣の都市パルミラの反乱によって破壊。その後、4〜5世紀にローマ帝国によって再建されたため、神殿や貯水池、城壁、門などの遺構が今でも残っています。当時は要塞の機能も持っていました。

5世紀から8世紀になると、ビザンツ帝国が支配するようになり、ここは農業と交易を中心とした都市となりました。人口が増加したために150件の家と16もの教会も建造され、これらは今でも残ります。しかし、8世紀にイスラム勢力によって支配されるようになると、地震が発生し、多くの建造物が崩壊し、9世紀以降はこの地は放棄されました。20世紀初頭になると、イスラム第三の宗派と呼ばれるドゥルーズ派の住民と遊牧民がこの地で暮らすようになり、現在は遺跡のある小さな集落でもあります。

ウム・アル=ジマルはどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?

ウム・アル=ジマル
画像素材:shutterstock

ウム・アル=ジマルが評価されたのが、以下の点。

登録基準(v)
ウム・アル=ジマルの遺跡は保存状態がよく、農業や畜産業を行い、キャラバンによる交易を組み合わせて繁栄した文化的景観が現在でも見られます。そして、現在の住民も過去の遺産を利用して暮らし続け、現在のヨルダンの文化的なアイデンティティに影響を与えてきたという点。

登録基準(vi)
現代でも地元住民は共同の水道システムを維持しながら暮らしています。遺跡にはナバテア語やギリシャ語、ラテン語の碑文が多く発見されていて、キリスト教会やモスクを中心とした共同体の環境がそのまま残されているというのが特徴。これは外部からの影響を受けつつも、その度に文化形成を成し遂げるという「回復力」を示し、どの遺跡よりも現代のヨルダンの文化遺産として今も生き続け、21世紀においては非常に重要であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ウム・アル=ジマルは、ナバテア人の時代からイスラム教時代まで人々が暮らし、保存状態が良いのが特徴ではあるものの、住民たちが外部からの支配を受けつつも、その生活文化を継承しつつ、暮らしてきた証拠が残っているという点で評価されています。

ちなみに、近郊にあるマフラクは「交差点」を意味していて、ここはヨルダンの首都アンマンからシリアの首都ダマスカスを結ぶ経由地でもありました。そして、ここにはシリアからサウジアラビアの聖地メディナまでを結ぶヒジャーズ鉄道の駅があり、近代においてはこちらのほうが重要度が高く、現在の人口は5万人ほど。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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