登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2),(4),(6) |
登録年 | 1998年 |
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、中世にヨーロッパ中から巡礼者がスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラまで利用していた道。フランスでは、北から「トゥールの道」「リモージュの道」「ル・ピュイの道」「トゥールーズの道」と、その周辺にある大聖堂や教会、橋などが世界遺産に登録。
ここではフランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路について詳しくなること間違いなし!
※スペイン側のサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は別記事で紹介しています
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路とは?
「サンティアゴ・デ・コンポステーラ」とは、スペイン北西部にある中世キリスト教三大巡礼地のひとつ。9世紀にイエスの十二使徒の一人、聖ヤコブのものとされる墓が発見され、中世ヨーロッパでも最大規模の巡礼地に。サンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かうには巡礼者はフランスを経由して訪れる必要があり、4つの巡礼道が利用されてきました。
巡礼路周辺には、ここを通る巡礼者に向けた教会、病院、橋などが築かれました。世界遺産としては71もの資産が登録されていて、それらは11〜15世紀にかけての巡礼の発展が見られるもの。
トゥールの道
パリからオルレアン、トゥール、ボルドーを経由してオスタバ=アスムを結び、ピレネー山脈のイバニェタ峠を越えてスペインへと抜ける道。
巡礼路沿いのトゥールは、ロワール川に位置する大学都市で「サン・ガティアン大聖堂」は13〜16世紀に建造されたゴシック様式の建造物。シャルル8世の子供の棺があることでも知られます。
リモージュの道
ヴェズレーからブルージュを経由してオスタバ=アスムを結び、ピレネー山脈のイバニェタ峠を越えてスペインへと抜ける道。
ブルゴーニュ地方にある小さな街・ヴェズレーは、9世紀建造で、マグダラのマリアの聖遺体を祀ったとされるサント=マドレーヌ教会があり、11世紀には巡礼地として人気を集めました。
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ル・ピュイの道
ル・ピュイ=アン=ヴレからコンクを経由してオスタバ=アスムを結び、ピレネー山脈のイバニェタ峠を越えてスペインへと抜ける道。
コンクは、4世紀に殉死した聖フォワの聖遺物を9世紀に教会に安置したことから巡礼地となり、多くの巡礼者が集まりました。またコンクは「フランスの最も美しい村」にも登録されていることでも知られます。
トゥールーズの道
アルルからトゥールーズを経由してオロロン=サント=マリー結び、ピレネー山脈のソンポルト峠を越えてスペインへと抜ける道。
アルルからの巡礼路の途中にあるエロー川には「悪魔の橋(ポン・デュ・ディ・アブル)」は中世のフランスでも最古の橋の一つ。トゥールーズは、オート=ガロンヌ県の県都で、古くから巡礼路の街として有名です。中心部にあるサン・セルナン教会はフランスのロマネスク様式としては最大規模。
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路と周辺の建築物は、中世後期の宗教と文化の交流・発展を果たしたという点。
登録基準(iv)
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路沿いには、巡礼者に対するさまざまな施設が築かれていったということ。
登録基準(vi)
フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、中世のヨーロッパのさまざまな階級の人々の信仰と影響力が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路は、スペインのサンティアゴ・デ・コンスポテーラからフランス各地まで続く壮大な巡礼路で、ここはフランス側の4つの道が登録。スペイン同様、巡礼路沿いには教会や宿舎、病院など、巡礼者向けの設備が築かれ、巡礼者が行き来することで文化交流がされてきたという点で評価されています。
ちなみに、この遺産は巡礼路を扱っているため、フランス国内のキリスト教関連の施設も世界遺産に登録されていて、ヴェズレーのサント=マドレーヌ教会だけでなく、モン・サン=ミシェルやアミアン大聖堂など、既に世界遺産に登録されているものも含まれています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。