キューバの世界遺産「サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(4), (5)
登録年1997年

キューバ東部の港湾都市サンティアーゴ・デ・クーバの郊外には、17世紀にスペイン王フェリペ2世によって港を防衛するため、段丘に城塞が建造されました。ここはイタリア出身の軍事建築家ジョヴァン二・バッティスタ・アントネッリによって、ルネサンス様式の機能美と堅固さをあわせ持つ、新大陸におけるスペインの軍事建築の傑作でもあります。

ここではサンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城について詳しくなること間違いなし!

目次

サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城とは?

サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
画像素材:shutterstock

キューバ東部の岩だらけの岬に築かれた石造りの要塞は、サンティアーゴ・デ・クーバの港を防衛するため、1590年にフェリペ2世によって建造が開始された城塞。この地は17〜18世紀には、カリブ海の海賊に脅かされていたため、要塞は交易ルートと他国からの攻撃から守るために建造されました。設計はイタリア出身の軍事建築家ジョヴァン二・バッティスタ・アントネッリが担当し、ルネサンスの軍事工学の原則が採用され、幾何学的な形となっていて、堅固性と機能美を合わせ持つもの。

サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
画像素材:shutterstock

しかし、この地は1662年には英国の海賊によって征服され、要塞も破壊。17世紀後半には2度の地震によって被害を受けたために修復が何度もされ、18世紀後半には攻撃される機会も減っていきました。ここは3つの城壁に囲まれた4層構造になっていて、堡塁や火薬庫、砲台が残っています。18世紀には政治犯を収容する監獄として使われたことも。19世紀後半の米西戦争によってアメリカ軍に攻撃された際は、再び城塞として使用されましたが、それ以降は利用されることはありませんでした。

サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

サンティアーゴ・デ・クーバのサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城
画像素材:shutterstock

サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城が評価されたのが、以下の点。

登録基準(iv)
17〜18世紀にかけてカリブ海の交易や他国からの攻撃に対応できるように建造されたサン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、カリブ海におけるヨーロッパの植民地に適応したルネサンス様式の軍事工学の原理が導入された最大規模かつ重要な城塞であるという点。

登録基準(v)
城は幾何学的なデザインやシンメトリー(対称性)など、側面と角度の規則性が優れていた古典的な城塞建築で、新大陸におけるスペインの軍事建築の傑作であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

サン・ペドロ・デ・ラ・ロカ城は、スペインによってカリブ海の交易とそれを狙う侵略者から防衛するために作られた堅固な城塞で、新大陸における最大規模のルネサンス様式の建築物であり、スペインが築いた軍事建築の中でも傑作であるという点で評価されています。

ちなみに、サンティアーゴ・デ・クーバというと、都市というよりもラム酒のほうが有名だったりしますが、これはかつてスペイン植民地時代のキューバの首都がサンティアーゴ・デ・クーバに置かれ、この地で集められたサトウキビで作られたラムであるためにその名前が付けられました。まぁ、ウイスキーにしろ、ビールにしろ、地名から名付けられたブランドが多いのでその類ではありますが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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