登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (2), (4) |
登録年 | 2010年 |
ブラジル北東部の街、サン・クリストヴァンにあるサン・フランシスコ広場は、16世紀後半から17世紀中期まで、スペイン・ブラジル同君連合時代(1581〜1640年)に建設され、スペインとポルトガルそれぞれの都市設計が見られます。広場にはフランシスコ会の修道院や教会、私邸などが並び、街が設立されて以降の歴史が凝縮して見られるというのが特徴。
ここではサン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サン・フランシスコ広場について詳しくなること間違いなし!
サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場とは?
ブラジルのセルジペ州のサン・クリストヴァンは、かつては州都であった街。16世紀後半に、スペイン・ブラジル同君連合時代のハプスブルク家によってここは設立され、現在の街並みは17世紀以降に作られたもの。スペインのコロニアル様式の都市計画は碁盤の目状であるのに対し、ポルトガルは土地に合わせて建設するという傾向があるのですが、ここはポルトガル領であったのに、スペイン式の規則正しい都市計画が見られるのが特徴。
サン・フランシスコ広場は長方形の広場となっていて、北側にはフランシスコ会のサンタ・クルズ修道院は、17世紀設立の修道院で19世紀に再建されたもの。東側のサータ・カーザ・ダ・ミゼリコディアは、慈悲修道女会によって建設された施療院(旅人や貧民のための施設)で、16世紀創設ではありますが、現在の教会は18世紀に再建され、バロック様式の装飾が今でも見られます。広場の南側には州知事の公邸、西側には私邸が現在も残存。
サン・クリストヴァンの町のサン・フランシスコ広場はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
サン・フランシスコ広場が評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
サン・フランシスコ広場は、ポルトガルとスペインの植民地で確立された都市計画と建築様式が融合したもので、2つの帝国が1つとなった時代における都市モデルの融合を示すという点。
登録基準(iv)
サン・フランシスコ広場は、街のランドマークとして、サン・クリストヴァンの文化と社会を象徴する場所として保存されていて、調和のとれた建築の傑出した例であり、合理的な都市計画とこの地域の独特の地形に適応しているということ。
世界遺産マニアの結論と感想
サン・クリストヴァンは、スペイン・ブラジル同君連合時代に建造されただけあって、2つの都市計画が見られ、サン・フランシスコ広場は街のランドマークとして、独特の地形に合わせて合理的な設計がされているという点で評価されています。
ちなみに、セルジペ州はブラジルで最も面積が狭い州。ここはスペインとポルトガルが先住民との戦いによって得た場所であり、南米各地を結ぶ重要拠点だったためにブラジルという国のルーツ的なエリアでもあるのです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。