登録区分(暫定リストに記載) | 文化遺産 |
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登録基準(暫定リストに記載) | (2), (3), (4), (6) |
申請年(暫定リストに記載) | 2013年 |
トルコ西部のマニサ県にあるサルディスは、かつてアナトリア半島を支配していたリュディア(紀元前7世紀〜紀元前547年)の首都であった場所で、その遺構にはかつての繁栄の跡が見られます。そして、遺跡から北方にあるビン・テペにはリュディア王家の墳墓が並び、「アナトリアのピラミッド」と呼ばれる巨大な古墳があることでも有名。
ここではサルディスとビン・テペのリディア墳墓群がなぜ世界遺産候補なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、サルディスとビン・テペのリディア墳墓群について詳しくなること間違なし!
サルディスとビン・テペのリディア墳墓群とは?
サルディス
サルディスは、トルコ西部のマニサ県・サルト村の近くにあり、ここはかつてアナトリア半島の西部を支配する国家を築いたリュディアの首都であった場所。ここは砂金が取れる地として有名で、リュディアは世界でも初めて硬貨(コイン)を生み出したほどに豊かな国家とされています。しかし、紀元前6世紀には滅ぼされ、その後はペルシャ帝国、マケドニア、ローマ帝国などに支配されるも、都市は繁栄。
7世紀以降は衰退していきますが、遺跡にはアクロポリスや住宅、ギュムナシオン(古代ギリシャの訓練施設)、世界で4番目の広さを誇るアルテミス神殿、ローマ浴場、古代最大規模のシナゴーグ、キリスト教会など、各時代の建築物が残っています。
ビン・テペ
ビン・テペは、サルディスの北方にあるマルマラ湖の南端に位置する74平方kmもの広大な墓地。ここは約115基もの古墳が残っていて、リュディア王家の墓地でもありました。その中でも最大の古墳・アリャテス王(紀元前635年〜紀元前585年)のものは、直径355m、高さ63mもあり、当時のリュディアの繁栄が伺い知ることができるもの。
サルディスとビン・テペのリディア墳墓群はどんな理由で世界遺産に登録される予定なの?
サルディスとビン・テペのリディア墳墓群が評価されたのが、以下の点。
登録基準 (ii)
登録基準 (iii)
登録基準 (iv)
登録基準 (vi)
リュディアはヘロドトスの『歴史』以外では、ほとんど文書に残っておらず、こららの考古学遺跡は重要なものとなっていて、彼らは金と銀に分離して硬貨(エレクトロン貨)を作る技術を持っていたことから、サルディスは当時の大帝国の首都と比べても遜色ないものでした。そして、リュディアが崩壊した後も、ここは神殿や教会、シナゴーグといった多神教の遺構が混合するのも特徴で、文化の適応と変化が見られます。ビン・テペはエジプトのピラミッドのようであり、サルディスの王権を示すものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
サルディスはリュディアの首都であり、ビン・テペはリュディア王家の墓所であったことから、この地はあまり資料で残っていないリュディアの存在がよく分かる証拠が残っていて、彼らの技術だけでなく、文明の交差路であったことから周辺国の影響を受けていた跡が見られるという点で評価されています。
ちなみに、リュディアはコインを発明しただけでなく、金貨と銀貨からなる通貨制度も導入したということでも有名。10円と1円といった概念のように、コインが一種類だと計算がめんどくさいところ、金と銀で価値を分ければ、効率的になる…という、今だと当たり前のことが、既に紀元前6世紀に発明していたと思うと恐ろしいですね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。