登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 1995年 |
アムステルダムから北東へ約60kmに位置するスホクラントは先史時代から人間が住んでいて15世紀まで半島ではあったものの、海水の浸水によって島となってしまい、19世紀に集落は放棄。しかし、1932年にゾイデル海をアフシュライトダイク(大堤防)で淡水湖にすると、水没した地は農業用地へと干拓され、新しい州・フレヴォラント州となりました。
ここではスホクラントとその周辺がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スホクラントとその周辺について詳しくなること間違いなし!
スホクラントとその周辺とは?
オランダは英語でネーデルラント(低い土地)という意味で、6000年にも渡って人々は浸水に悩まされてきました。スホクラントはフレヴォラント州の北東ポルダーと呼ばれる干拓地であり、行政地区の中の一部が世界遺産に登録。ここは先史時代から15世紀まで半島であり、低地は農地であったものの、浸水により農地は沈み、一部の高地が島となってしまったため、1859年に放棄され、住民は漁業などで生活を支えていました。1932年にアフシュライトダイク(大堤防)の建造により、ゾイデル海が淡水湖となると、1940年代から次第に埋め立てされ、当時の海だった場所は再び農地となっています。
スホクラントは埋立地であるために平地が広がりますが、かつての島であった部分が土手となっていて、ここには新石器時代、青銅器時代、鉄器時代の遺跡が点在。そして、住民は低地を捨てて高台で暮らしたことから、現在はその時代に形成された集落が3つもあり、独自の文化的伝統が今も残されています。
スホクラントとその周辺はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
スホクラントが評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
スホクラントは、海水による浸水に悩まされるという土地において、湿地の集落における不安定な環境に適応してきたという先史時代から鉄器時代まで存在した社会を示すという点。
登録基準(v)
スホクラントは、オランダの人々の水に対する戦いが見られ、ここはゾイデル海の開拓の結果として農業景観が見られ、これらは20世紀の人類の偉業でもあります。そして、この地域に残る集落、墓地、堤防などは、この地域の歴史を示すということ。
世界遺産マニアの結論と感想
スホクラントは現在は干拓地が続いていますが、これは有史以来における人類の海水による浸水の適応を示すもので、堤防によって農地を干拓したという20世紀における人類の偉業を示すという点で評価されています。
ちなみに、フレヴォラント州はほとんどが干拓地でありますが、最近はアムステルダムの人口が増えたということもあり、南部の干拓地では新興住宅地が開発されていていて、特に「アルメレ」というエリアは2030年までに35万人の人口を誇る大都市になる予定。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。