登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1),(3),(6) |
登録年 | 1984年 |
インド東部にあるベンガル湾の海岸にあるコナーラクのスーリヤ寺院は、13世紀に東ガンガ朝(5世紀末〜1434年)の王によって建造。これは太陽神スーリヤの馬車をモチーフに築かれたヒンドゥー教寺院で、高さ約3mの車輪彫刻が24も配されているのが特徴です。
ここではコナーラクのスーリヤ寺院がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スーリヤ寺院について詳しくなること間違いなし!
コナーラクのスーリヤ寺院とは?
インド東部のオリッサ州の都市コナーラクには、13世紀に東ガンガ朝の王ナラシンハ・デーヴァ1世によって築かれたヒンドゥー教寺院があります。堀に囲まれた広大な敷地内にある寺院は、東ガンガ朝の寺院建築の集大成でもありました。しかし、現在は、高さ約39mの前殿と本殿の基壇、屋根のない舞楽殿が残るのみ。それでも当時の繁栄が見られるというのも特徴。
ここはヒンドゥー教の神の一人で、太陽神スーリヤが乗っているとされる馬車をモチーフにして建造されたもので、基壇全体に高さ約3mの車輪をモチーフにした彫刻が24ヶ所に配されています。他にも寺院の基壇には獅子や音楽家、踊り子などのレリーフで装飾されていて、どれも生き生きとした表情。
コナーラクのスーリヤ寺院はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
スーリヤ寺院が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
コナーラクのスーリヤ寺院は、12年間で12000人もの労働者が動員され、2代の建築家によって完成させたという伝説が生まれるほどにユニーク芸術作品であるという点。
登録基準(ii)
コナーラクのスーリヤ寺院は、かつてこの地で繁栄した東ガンガ朝の足跡が残る建築物であるということ。
登録基準(vi)
コナーラクのスーリヤ寺院は、太陽神スーリヤの信仰と直接的に結びついていて、8世紀に現在のカシミール地方で始まり、最終的に東インドの海岸まで伝来したという、スーリヤ信仰の拡大が見られるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
コナーラクのスーリヤ寺院は、カシミール地方からオリッサ州まで強く信仰されていたスーリヤ信仰が見られるもので、かつてこの地方で勢力を誇った東ガンガ朝時代の繁栄が見られるという点で評価されています。
ちなみに、オリッサ州の出身者として有名なスバス・チャンドラ・ボースは近代インドの独立運動家。彼は日本で活動をしていたのですが、1945年に事故死してしまいます。同時代に活躍した運動家ラース・ビハーリー・ボースは中村屋に本格的なインドカレーを伝えたとされる人物で、彼のほうが日本では知名度が高かったらしく、葬儀では、なぜか中村屋の菓子が置かれていたりと…「ボース」だけに混同した人もいたみたいです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。