イタリアの世界遺産「シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (3), (4), (6)
登録年2005年

シチリア島南東部には、3000年以上前に築かれた墳墓群が残るパンターリカがあり、地中海文明の発展が見られるエリア。海岸に位置するシラクサは、現代でもギリシャ時代の神殿や劇場、古代ローマ時代の円形劇場が残り、かつてギリシャの政治家キケロが「あらゆるギリシャ都市の中でも最も美しい」と称えたほどの都市でした。

ここではシラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡について詳しくなること間違いなし!

目次

シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡とは?

シチリア島の南東部には、丘の上に築かれたネクロポリスであるパンターリカと、海岸にある古代ギリシャの都市シラクサがあり、これらの2つのエリアは3000年に渡って繁栄した地中海文化の歴史を示すもの。

シラクサ

シラクサ/シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡
画像素材:shutterstock

シチリア第2の都市であるシラクサは、紀元前8世紀に建造されたギリシャ人による植民都市で、かつては「シュラクサイ」と呼ばれていました。ギリシャの政治家キケロが「あらゆるギリシャ都市の中でも最も美しい」と称えたほどに繁栄した都市だったとされています。

ここには紀元前6世紀に建造されたアポロ神殿を代表に劇場などが残り、古代ローマの円形劇場も残存。他にもギリシャ神殿をベースに18世紀に再建されたシラクサ大聖堂など、旧市街には古代ギリシャから近代までさまざまな時代の建造物が残ります。

パンターリカ

パンターリカ/シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡
画像素材:shutterstock

シラクサから内陸へ約40kmの位置にあるネクロポリスで、墳墓が5000ほど点在。これらは紀元前13世紀〜紀元7世紀に築かれたもので、ギリシャ人が植民地化する前の先住民によって建造されたとされていて、彼らの住宅跡も残っています。他にもビザンツ時代の遺跡なども発掘。

シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

シラクサ/シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡
画像素材:shutterstock

シラクサとパンターリカの岩壁墓地遺跡が評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
シラクサとパンターリカの遺跡は、何世紀にも渡って発展した地中海文化を示すものであるということ。

登録基準(iii)
文化的多様性があるシラクサとパンターリカの建築物は、3000年に渡って発展した文明の足跡を残すという点。

登録基準(iv)
シラクサに残る建造物と考古学遺跡は、ギリシャやローマ、近代に建造されたもの、ここはそれぞれの文化的影響が見られる都市であるということ。

登録基準(vi)
シュラクサイは、古代ギリシャ世界において、戦争や政治、思想、文学など、多大な影響をもたらしたという点。

世界遺産マニアの結論と感想

シチリア島の南東部に位置するシラクサとパンターリカには、約3000年以上前から地中海文化が発展した形跡を残し、特にシラクサは古代ギリシャから近代までさまざまな建築物が残るという点で評価されています。そして、シラクサは古代ギリシャ世界においては政治から文化まで多大な影響を与えたというのもポイント。

ちなみに、太宰治『走れメロス』はドイツのシラーの詩がモデルになっているので、一応架空の話ではありますが、作中で羊飼いのメロスがシラクサの街を訪れたことから物語がスタートするので、おそらく設定的にメロスは「シラクサ郊外の村」に住んでいたと思われます。ま、物語上では、シチリアの描写はほとんどないのですが。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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