登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (4) |
登録年 | 1979年 |
ブルガリア中央部、バラ祭りで有名なカザンラクの郊外には、紀元前4世紀頃に築かれたトラキア人の地下墳墓が存在します。内部には円形の埋葬室があり、ここには色鮮やかで美しい天井画が残っていて、資料が少ないトラキア人の埋葬の儀式や文化が分かるというもの。
ここではカザンラクのトラキア人の墳墓がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トラキア人の墳墓について詳しくなること間違いなし!
カザンラクのトラキア人の墳墓とは?
トラキア人とは、かつてバルカン半島南東部に住んでいた、インド・ヨーロッパ語族に属する民族で、独自の文化を持っていました。現在のブルガリア南東部に多くのトラキア人の遺跡が残り、金細工などが発掘されることから、かなり高度な文明だったと考えられるものの、資料が少なくて分からないことが多いというのが現状。
バルカン山脈の麓にある小さな街・カザンラクの郊外は、かつてトラキア人の重要な都市セウテポリスがあった場所。ここは1944年に、防空壕を掘っていた兵士によって墳墓が発見されました。既に盗掘されていましたが、男女2体の遺体と、葬祭儀式の様子を描いた色鮮やかな天井画が発見。このフレスコ画は、紀元前6〜3世紀の間にこの地で栄えたトラキア人による芸術の最高峰であり、彼らの埋葬の儀式や文化などが分かるというもの。
カザンラクのトラキア人の墳墓はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トラキア人の墳墓が評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
カザンラクのトラキア人の墳墓は、トラキア人が生み出した作品でも傑作であるという点。
登録基準(iii)
カザンラクのトラキア人の墳墓のフレスコ画は、トラキアの高度な文化と芸術を証明するものであるということ。
登録基準(iv)
カザンラクのトラキア人の墳墓のフレスコ画は、トラキア人の埋葬文化の発展において重要な段階を示すものであるという点。
世界遺産マニアの結論と感想
カザンラクの郊外に残る地下墳墓は、かつてこの地で暮らしていたトラキア人の高度な文化や芸術を示すもので、彼らの埋葬文化などがよく分かるという点で評価されています。
カザンラクといえば、バラの生産地として世界的に有名な「バラの谷」に属していて、6月に開かれる「バラ祭り」は世界から多くの人が集まる有名な祭り。実は1903年から続く歴史のあるお祭りで、毎年「バラの女王」と呼ばれる美人コンテストが開かれることでも知られています。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。