登録区分 | 文化遺産(危機遺産1990~2005年、2012年~) |
登録基準 | (2),(4),(5) |
登録年 | 1988年 |
サハラ砂漠南部にあるトンブクトゥは、遊牧民トゥアレグ族によって築かれた交易拠点が起源。やがて金の交易で栄え、町にはモスクやマドラサ(神学校)が並ぶイスラム文化都市へと発展しました。現在でも「黄金の都」として栄えた当時の町並みが残っています。
ここでは、トンブクトゥがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、トンブクトゥについて詳しくなること間違いなし!
トンブクトゥとは?どこにある?
トンブクトゥは、マリ中部に位置し、ニジェール川の中流域に砂漠の民トゥアレグ族が築いた都市。サハラ砂漠の入口にあり、金の交易で栄えた都市でした。もともとはトゥアレグ族の野営地だった場所に町が築かれたのは12世紀。町はマリ帝国の支配下にあり、ニジェール川でとれる金とサハラ砂漠の岩塩などの交易で栄え、「黄金の都」と呼ばれるようになりました。
15〜16世紀が最盛期で町には大学が設立され、180の学校と約2万5000人の学生が滞在したというほどに栄えた文化都市へでもありました。しかし、16世紀以降、サハラ砂漠の交易が衰退していくと徐々に衰退。現在は人口5万程度の小さな町となっています。
危機遺産
もともとインフラが整っておらず、危機遺産になっていたことに加え、2012年に反政府勢力により、トンブクトゥの市内の聖墓は破壊。再度危機遺産に登録されました。
登録されている主な構成遺産
ジンガリベリ・モスク
14世紀に建造されたモスクで、16世紀にトンブクトゥの君主によって再建されたもの。泥土とわら、木などで構成され、2つのミナレットがシンボル。礼拝所は最大で2000人を収容できるほど広大です。
サンコーレ・モスク
14世紀に建造されたマドラサ(神学校)にあるモスクで、マリ帝国の王マンサ・ムーサによって設立。現在のものは16世紀にメッカのカーバ神殿のスケールで再建されたもの。サンコーレ・モスクは、ジンガリベリ・モスクなどと合わせて大学を構成していました。
トンブクトゥはどんな理由で世界遺産に登録されているの?
トンブクトゥが評価されたのが、以下の点。
登録基準(ii)
町に残るモスクなどイスラム関連の施設は、アフリカにおけるイスラム教の布教に重要な役割があったということ。
登録基準(iv)
ジンガリベリ・モスクやサンコーレ・モスクは16世紀に再建され、トンブクトゥの黄金時代を示すという点。
登録基準(v)
町に残るモスクと霊廟は、サハラ交易で栄えたトンブクトゥが商業や文化、宗教などの中心地であったということを示すものであるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
「黄金の都」とされたトンブクトゥですが、その実態は商業で栄えた、多くの学校が建つ文化都市で、アフリカのおけるイスラム教の布教において大きな役割があったという点で評価。現在は危機遺産であり、情勢によっては街は破壊される可能性もあり、建築物は主に泥土で作られているので修復が必要となっているという点で問題を抱えています。
ちなみに、サグラダ・ファミリアを設計したことで有名なアントニ・ガウディは、この地の泥で建造されたモスクをモチーフにサグラダ・ファミリアを建造したという説もありますが、ソースが乏しいのが現状…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。