イタリアの世界遺産「ウルビーノ歴史地区」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(2), (4)
登録年1998年

イタリア中部の山間部にある小さな都市ウルビーノ。ここは15世紀にモンテフェルトロ家によって芸術家や科学者が多く集められたルネサンス都市で、ドゥカーレ宮殿などはヨーロッパの文化発展に大きく影響を与えました。16世紀以降は衰退してしまったものの、その影響とあり、現在でもルネサンス時代の景観を残しています。

ここではウルビーノ歴史地区がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ウルビーノについて詳しくなること間違いなし!

目次

ウルビーノ歴史地区とは?

ウルビーノ歴史地区
画像素材:shutterstock

イタリア北東部にあるマルケ州。ウルビーノはマルケ州の北西部にある小さな町。ここは紀元前3世紀からローマ人が住んでいて、現在のドゥカーレ宮殿があったエリアに都市が建造。13世紀ころには自治都市になりました。15世紀にモンテフェルトロ家の当主フェデリーコがウルビーノ公になると、彼はヨーロッパ各地から芸術家や学者を集め、ここにルネサンス文化が花開いたのです。

フェデリーコは多くの芸術家を支援し、宮廷画家に採用したジェヴァン二・サンディという人物がいましたが、彼はかの有名なラファエロ・サンディの父親。その後、フェデリーコが亡くなり、息子のグイドバルドの時代が最盛期でしたが、16世紀になると教皇領に組み込まれ、経済・文化ともに衰退していきます。しかし、結果的にルネサンス時代の建築物をそのまま残すことになりました。

登録されている主な構成遺産

ドゥカーレ宮殿

ドゥカーレ宮殿/ウルビーノ歴史地区
画像素材:shutterstock

1444年にフェデリーコによって建造された壮麗な宮殿で、「ルネサンス建築の最高傑作」ともされます。ここは建築家・彫刻家であったルチアーノ・ダ・ラウラーナとフランチェスコ・ディ・ジョルジョ・マルティーニの2人によって設計されました。フェデリーコが文化人が多く集めたことにより、ルネサンス文化が花開いた場所でもあります。

宮殿は完成するまでに約100年かかり、壮麗な部屋が多く建造されました。特に「ドゥーカの居室」はフェデリーコの部屋で、ルネサンスの芸術家のボッティチェリやブラマンテによる寄木細工が施され、ここには遠近法や幾何学図形なども取り入れられています。そして、併設された大聖堂も美しく、ルネサンスの建築様式のモデルともなりました。

現在は国立マルケ美術館となっていて開放されていて、ラファエロの作品なども置かれています。

ウルビーノ歴史地区はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ウルビーノ歴史地区
画像素材:shutterstock

ウルビーノが評価されたのが、以下の点。

登録基準(ii)
ウルビーノは、ルネサンスの芸術家や学者を魅了する都市であったということ。

登録基準(iv)
ウルビーノは、ルネサンスの芸術と建築物の頂点であり、それらが街並みと調和して存在しているという点。

世界遺産マニアの結論と感想

ウルビーノは、ルネサンス時代に大いに繁栄し、芸術家や学者たちが集まり、交流し、今でも歴史地区には建築物や芸術品が残っているという点で評価されています。

ちなみに、フェデリーコは貴族の出でありながら軍人としては最強で、戦争では一度も負けたこともないというほど。しかし、槍試合で片目を失ってしまったため、彼の肖像画は横顔で描かれています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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