登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (1), (3), (4) |
登録年 | 1985年 |
ペトラはヨルダン南部の渓谷に築かれた隊商都市。ここは紀元前2世紀頃に遊牧民であったナバテア人が住み始め、2世紀にローマ帝国に併合されるまで交易で大いに栄えました。建築物のほとんどが岩山を削って造られたもの。ここには独創的な貯水システムも見られ、ナバテア人は優れた建築技術を持っていたことが分かっています。
ここでは、ペトラがなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ペトラについて詳しくなること間違いなし!
ペトラ(遺跡)とは?その歴史を解説
ペトラはヨルダン南部・死海とアカバ湾の間にある渓谷に造られた都市。ここは古来から人が定住しており、人や物が行き交う中継地で、遊牧民であったナバテア人はキャラバン交易によって莫大な富を得ました。そして、紀元前2世紀ころにナバテア王国の首都としてペトラを建造。そして、アラビア半島からはお香、中国からは絹、インドからはスパイスなど、キャラバン交易の中心地となりました。
しかし、2世紀にローマに併合されると徐々に衰退。7世紀にイスラムの支配下になり、12世紀に十字軍の砦が築かれた後は、廃墟となりました。19世紀にスイス人探検家のヨハン・ブルクハルトが遺跡となったペトラを発見。
ペトラとは、ギリシャ語で「岩壁」を意味し、都市は岩山を削って造られたもの。雨が降ると鉄砲水となり、渓谷内を通過するので、ダムなどの貯水池を作って鉄砲水を防ぎ、さらに用水路を使って給水設備としていました。入口にあるアル・ハズネは、岩山を彫刻のように削り、まるで宮殿のような外観を持っています。他にも墳墓や劇場などが点在。20世紀から調査は進んでいるものの、未だに遺跡の数%ほどしか完了しておらず、まだまだ発掘されていない箇所がほとんど。
登録されている主な構成遺産
シーク
遺跡の最も東に位置し、狭い峡谷が約1.2km続く道。これは意図的に作ったものではなく、水の侵食により形成されたもの。入口にはくぼみ(壁龕)があることから、ここが隊商宿の入口であったと考えられています。うねった道の先にはアル・ハズネが見えてくるという風景は、遺跡で最も有名な風景で『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地として使用されたことでも知られます。
アル・ハズネ(宝物庫)
ペトラの東側に位置していて、アラビア語で「宝物庫」を意味します。これは岩山を削って造られた壮麗なファサードに壺のような彫刻があり、ここに宝が入れられていたという伝説から由来するもの。古代ギリシャ建築の影響を受けた立派な外観ではあるものの、内部はシンプルな部屋に。ここはナバテア人の王の墳墓として造られたと考えられていて、埋葬の跡も発見されています。
アル・ディル(修道院)
北西の丘の上に築かれた、アル・ハズネと同じように豪華なファサードが造られています。墳墓というよりは、儀式の場であった可能性がありますが、どんなものであったかは未だに不明。壁には十字架が刻まれており、ここがビザンツ帝国(東ローマ帝国)に支配された頃は、教会として再利用された可能性があることから「修道院」と呼ばれています。
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地となった?
ペトラ遺跡は、1989年に公開された、スティーブン・スピルバーグ監督の映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』のロケ地となったことでも有名。聖杯伝説がテーマとなっていて、アル・ハズネに聖杯が置かれている…という設定ですが、実際のアル・ハズネには豪華な外観の割に内部はほぼ何も見られません。
ペトラとイエス・キリストの聖杯伝説とは何も関係はないのですが、アル・ディルが修道院として利用されたことから、ここが聖杯の隠し場所だったというインスピレーションが湧いたのかもしれませんね。実際に使用されたのも外観のみ。
土石流で遺跡が破壊されそうになったことも?
遺跡があるワディ・ムーサは砂漠気候ではあるものの、渓谷沿いにあることから意外なことですが、雨季になると水が谷に集まっていき、やがて土石流になるという現象が発生します。最近では2018年や2022年に大規模なものが発生し、旅行者には影響がない程度ではありましたが、それでもシークには水が流れ出てしまい、観光客も避難することとなり、過去には死亡者も出ています。
雨季は毎年異なりますが、10月から3月までくらいとなっていて、滅多に発生しないものではないのですが、この時期に訪れることがあれば、ちょっとだけ意識をしましょう。
ペトラ(遺跡)はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ペトラが評価されたのが、以下の点。
登録基準(i)
自然の要塞を利用して造られた交易都市は、水の管理システムを備えた、独特で美しい景観を持つということ。
登録基準(iii)
ペトラは、多くの墳墓、聖域、貯水システム、凱旋門など、ナバテア人が築いた文明の跡を残すという点。
登録基準(iv)
建築物は、ギリシャ建築などの影響が見られ、さらに貯水池や用水路など、紀元前1世紀〜紀元1世紀ころの優れた配水技術が見られるということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ペトラは、古代ギリシャなどから建築技術を受け入れた、ナバテア人独自の文明が見られる遺跡であるという点で評価されています。特に建物のファサードや貯水システムなど、彼らの高度な建築技術が分かるというのがポイント。
ちなみに、ペトラの遺跡が発見されてから100年以上も経過していますが、一説によるとまだ遺跡の15%しか発掘しておらず、残りの85%はまだ明らかになっていないとか。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。