フランソワ1世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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フランソワ1世(1494〜1547年)はヴァロワ朝の国王であり、イタリア戦争によって遠征を繰り返すも成果は出ませんでした。一方、フランス・ルネサンスを指導した君主の一人であり、文化や芸術の発展に貢献しています。そんなフランソワ1世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はフランソワ1世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、フランソワ1世について具体的に理解できること間違いなし!

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フランソワ1世とはどんな人物?

フランソワ1世の肖像画
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1494年にフランス西部のコニャックで誕生。彼はヴァロワ家の支流の家に生まれましたが、当時の国王ルイ12世が男子を残さずに崩御したため、遠縁にあたるフランソワが王位を継承しました。フランソワ1世はイタリアでの覇権をめぐり、神聖ローマ皇帝カール5世(スペイン国王カルロス1世)と長年に渡って対立しました。

イタリア戦争(1494〜1559年)の一つ、マリニャーノの戦い(1515年)では勝利するもの、パヴィアの戦い(1525年)では敗北、捕虜となり、スペインで幽閉されてしまいます。それもあり、カール5世に対抗するため、イスラム国家であるオスマン帝国と同名を結ぶなど、狡猾さもありました。彼は中央集権化を進め、貴族の力を抑えつつ、ローマ教皇には国王に大司教などの指名権を持つことを認めさせるほど。

シャンボール城
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フランソワ1世はフランス・ルネサンスの最大の支援者であり、イタリア・ルネサンス様式を取り入れ、「フォンテーヌブロー宮殿」を改築し、フランス・ルネサンス様式の代表的建築である「シャンボール城」を建設しました。

宮廷には多くのイタリア人芸術家を招いたことでも有名で、最も有名なのが、1516年にイタリアから招いた・天才レオナルド・ダ・ヴィンチ。ダ・ヴィンチ。彼はアンボワーズ城のクロ・リュセ館で晩年を過ごし、死後、『モナ・リザ』は彼のコレクションとなりました。しかし、イタリア政策は失敗に終わり、1547年にランブイエで死去(享年52歳)。

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フォンテーヌブローの宮殿と庭園/フランス

別れの中庭/フォンテーヌブローの宮殿と庭園
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パリから南西に約70km。フォンテーヌブローの広大な森には、12世紀からこの地に狩猟用の小屋があり、歴代の王のお気に入りの場所でもありました。宮殿の建設はフランソワ1世によって1528年に始まり、19世紀まで増改築が行われます。

現在の宮殿はフランソワ1世によって建造された時代のものがベースとなっており、これは1528年から1540年の間に建設されたもの。壁にフレスコ画でギリシャやローマの神話を用いてフランソワ1世を称賛するようなテーマで描き、これは「フランソワ1世の回廊」と呼ばれ、今でも残っています。

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シャンボール城/フランス

シャンボール城
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フランス北中部ロワール=エ=シェール県にあり、ロワール渓谷沿いでも最も広大な城。ここはフランソワ1世によって1519年から建築が始められたものですが、彼の治世の間はほぼ滞在することはありませんでした。

ここは防衛施設が造られず、装飾だけにこだわって建造されたことから、フランス・ルネサンス様式の最高傑作となりました。

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アンボワーズ城/フランス

クロ・リュセ城/アンボワーズ城
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フランス中部アンドル=エ=ロワール県にあるアンボワーズ城。ここは11世紀に城が築かれると何度も拡張を続け、やがてシャルル7世、ルイ11世、シャルル8世、フランソワ1世など、ヴァロワ朝時代(1328〜1589年)の歴代の王が居城としました。

アンボワーズ城の近くにあるクロ・リュセ城は、レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年を過ごした地として有名。もともとはフランソワ1世の姉であり、文人であったマルグリット・ド・ナヴァル(1492〜1549年)の家であったこともあり、実は2つの建物は地下通路で繋がっているという秘密も。

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ブロワ城/フランス

ブロワ城
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フランス北中部ロワール=エ=シェール県にあり、ロワール川沿いに位置するブロアの街の中心部にある城。ここはフランス王が居城とした城で、13〜17世紀にかけて造られたもの。もともとはルイ12世(1462〜1515年)の居城であり、16世紀に現在見られるルイ12世の翼とルネサンス様式の庭園が築かれました。

フランソワ1世が即位すると、新しい翼を建造。ここには八角形の螺旋階段が加えられ、フランス・ルネサンスの傑作とされています。

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世界遺産マニアの結論と感想

フランソワ1世は、神聖ローマ帝国との対立が続き、長期的な戦争を続けた王であるものの、フランスにてルネサンスを推進したことから「フランス・ルネサンスの父」と称されるほど、文化・芸術の発展に大きく貢献した人物でも知られています。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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