イタリアの世界遺産「ヴェッキオ宮殿」とは?世界遺産マニアが解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1),(2),(3),(4),(6)
登録年1982年

ヴェッキオ宮殿は「フィレンツェ歴史地区」の構成遺産の一つ。ここはフィレンツェの支配者でもあったメディチ家の住居であり、高さ94mの時計塔があることで知られます。ところで、ヴェッキオ宮殿はなぜ世界遺産なのでしょうか?

ここではヴェッキオ宮殿がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ヴェッキオ宮殿について詳しくなること間違いなし!

目次

ヴェッキオ宮殿とは?

500人大広間/ヴェッキオ宮殿
画像素材:shutterstock

フィレンツェのシニョーリア広場に位置する宮殿。ここはまず14世紀の始めに政庁舎として利用され、16世紀半にはフィレンツェの名門・メディチ家のコジモ1世(1519〜1574年)はここを住居としました。

宮殿にはミケランジェロの傑作である『ダヴィテ像』があることで有名で、これは巨大な大理石から像を削り出したというもの。「500人大広間」はメディチ家を称賛するというテーマの壁画で埋め尽くされた部屋で、観光の目玉になっています。現在はフィレンツェ市庁舎として利用。

ヴェッキオ宮殿はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

ヴェッキオ宮殿
画像素材:shutterstock

ヴェッキオ宮殿が評価されたのが、以下の点。

登録基準(i)
フィレンツェの建造物や美術作品は6世紀以上に渡って築かれ、これらは人類の創造的な傑作であるという点。

登録基準(ii)
レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロという2人の天才を育てたフィレンツェは、ルネサンス生誕の地の一つであり、ヨーロッパ全体に影響を与えたものであったという点。

登録基準(iii)
フィレンツェの優雅な宮殿や邸宅は中世とルネサンス期に栄えた商業都市だったということを証明するということ。

登録基準(iv)
ヨーロッパでも有数の経済都市であるフィレンツェは14〜17世紀にかけて壮麗な建造物が多く作られたということ。

登録基準(vi)
コジモが設立したプラトン・アカデミーなど、フィレンツェはルネサンスの概念が生み出された都市であるということ。

世界遺産マニアの結論と感想

ヴェッキオ宮殿は、ルネサンス芸術を支えたメディチ家の住まいでもあったことから、かつての商業都市の栄光が見られるという点で評価されています。

ちなみに、500人大広間には、かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの2つの未完成の壁画が存在していたとされています。しかし、16世紀に改築された際に壁ごと破壊されたものとして、その中でも有名な『アンギアーリの戦い』は模写だけが残されていました。2011年に内側にもう一つの壁があり、実は壁画は破壊されておらず、そのまま残されているということが判明。今後は未発見の作品として復元されていくかもしれませんね。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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