ジョージ3世とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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ジョージ3世(1738〜1820年)は60年間にわたって英国王を務め、彼の治世は、アメリカ独立戦争、フランス革命、ナポレオン戦争…といった大きな国際的な出来事に直面した時代でもありました。彼は暴君ともされていましたが、近年では評価が変わった人物。ジョージ3世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はジョージ3世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ジョージ3世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

ジョージ3世とはどんな人物?

生誕からアメリカ独立まで

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1738年にロンドンで生まれます。ジョージ3世は、生まれながらにして英語を話し、イギリス国内の文化や政治に強い関心を持つ君主でした。ドイツ出身の祖父ジョージ2世や曾祖父ジョージ1世とは異なり、イギリス王としてのアイデンティティを強く持っていたのです。

1760年に即位するも政治的混乱が増し、首相が頻繁に交代。七年戦争(1756〜1763年)後に、イギリスはフランスから広大な北米領土を獲得するものの、戦費の回収のために植民地への課税を強化。当時のアメリカ植民地の住民は議員になる権利がなく、「代表なくして課税なし」というスローガンのもと、アメリカ植民地は反発しました。

1775年にアメリカ独立戦争が勃発。ジョージ3世はアメリカの独立を強く拒否し、戦争継続を支持。しかし、1776年に植民地が独立宣言を発し、イギリス軍は敗北しました。1783年のパリ条約でアメリカの独立は正式に承認されます。

ナポレオン戦争から崩御まで

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1789年にフランス革命が勃発し、ナポレオン戦争に突入。1805年のトラファルガーの海戦でネルソン提督がフランス・スペイン連合艦隊を撃破し、イギリスの海上覇権は防衛することに成功しました。1815年にワーテルローの戦いでナポレオンが敗北し、イギリスは戦争に勝利。この時代、イギリスは世界的な覇権国家へと成長していきます。

とはいえ、ジョージ3世は1788年頃から精神疾患の兆候が現れ、1810年に病状が悪化し、長男のジョージ王太子(後のジョージ4世)が1811年から摂政として統治。晩年は完全に公務を離れ、1820年に死去しました。

ジョージ3世にまつわる世界遺産はこちら!

キューの王宮植物園群(キュー・ガーデンズ)

キューの王宮植物園群(キュー・ガーデンズ)
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ロンドンの南西部に位置するキューというエリアに築かれた王宮植物園は、1759年に英国王ジョージ2世の皇太子の后であったオーガスタ妃(ジョージ3世の母)によって、庭園を植物園へと拡張させたことが始まり。

ジョージ3世は、植物学者でもあったジョゼフ・バンクスなどに命じて、世界中の植物を集めると庭園のコレクションはさらに拡大。1840年に庭園は王立植物園となり、ここはイギリスの植民地にあった植物園から植物を集め、研究所として品種改良などを行っていました。

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世界遺産マニアの結論と感想

ジョージ3世は19世紀にはアメリカ独立を巡り、「頑固な暴君」として批判されることが多かった人物。しかし、科学や農業に関心を持ったことから「農夫王」と呼ばれ、アメリカは独立したものの、ナポレオン戦争の勝利によって、イギリスの発展に貢献した人物として、その質素な生活も含めて見直されている人物であります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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