カッサパ1世(在位:473〜495年)は古代スリランカのアヌラーダプラ王国の王。世界遺産として有名なシーギリヤ・ロックを建造した人物ではありますが、「父殺しのカッサパ」と呼ばれ、暗殺に怯えていた人物とされています。そんなカッサバ1世はどんな人物だったでしょうか?
今回はカッサパ1世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、カッサパ1世について具体的に理解できること間違いなし!
カッサパ1世とはどんな人物?

シンハラ王国は、アヌラーダプラ王国(紀元前377年〜紀元1017年)とも呼ばれ、紀元前3世紀にインドから仏教を取り入れ、仏教は文化や法律まで影響を与えました。5世紀末にダートゥセーナ王には、2人の息子がいて長男のカッサパは庶民出身の母親から生まれ、弟のモッガラーナは正妻から生まれた子供でした。473年にカッサパはクーデターで父王を殺し、王権を奪ったことから「父親殺し」と呼ばれ、弟のモッガラーナはインドへと亡命。
カッサパは弟であるモッガラーナを恐れたため、首都であった北部のアヌラーダプラを離れ、中央部のシーギリヤへと遷都。そして、父王の供養のために未完であったシーギリヤの城塞を完成させました。しかし、モッガラーナは南インドで力を蓄え、495年にシーギリヤへと侵入。戦争で敗北を悟ったカッサパは自害したと伝えられています。
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古都シーギリヤ



シーギリヤはスリランカの中部州のマータレーから北へ約65kmの位置にあります。森に突如として現れる高さ約180mの花崗岩の上に建造された天空都市。
シーギリヤとは「獅子の山」を意味しており、北側にある「獅子の門」は獅子の足先だけ残っています。岩山のすぐそばには「水の庭園」が築かれ、ここには用水路や噴水などがあり、アジア最古の庭園の一つ。岩山の西側に描かれた「シーギリヤ・レディ」は華やかな衣装を着た天女を野菜や花、木などを使った染料を使って描かれたフレスコ画で、王宮に住んでいた女性たちをモデルにしたとされています。
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世界遺産マニアの結論と感想
カッサパ1世は父王を殺害して王位を奪ったことで「父殺し」としての評価を受けることが多いですが、スリランカ史上最も壮麗な建築物を残した人物でもあります。建築技術だけではなく、『シーギリヤ・レディ』は芸術的価値も高く、文化の面では大いに貢献した人物とも言えるでしょう。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。