登録区分 | 文化遺産 |
登録基準 | (3), (5) |
登録年 | 2005年 |
ネゲヴ砂漠とは、イスラエル南部に広がる広大な砂漠で、ここにはかつてアラビア半島と地中海を結ぶ、香料の交易路がありました。紀元前3世紀から2世紀まで砂漠の遊牧民であるナバテア人たちによって築かれた4つの都市遺跡や城塞、隊商宿、灌漑システムなどが残っていて、これらは世界遺産に登録。
ここではネゲヴ砂漠の香の道と都市群がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、ネゲヴ砂漠の都市群について詳しくなること間違いなし!
ネゲヴ砂漠の香の道と都市群とは?
ネゲブ砂漠は、イスラエル南部に広がる砂漠。ここはかつてアラビア半島南部で作られる香料(乳香や没薬)を地中海まで運ぶという約2000kmに至る広大なネットワークが存在していました。その交易路は紀元前3世紀から2世紀まで、砂漠の遊牧民であるナバテア人たちによって利用されたもの。彼らは各地で高度な技術を活かした灌漑システムを使用し、砂漠で農業を行いながら定住し、交易の拠点となる都市を築きました。
世界遺産としては、ナバテア人が築いたハルザ、マムシト、シヴダ、アヴダトといった4つの都市に4つの城塞、2つの隊商宿、交易路の一部が登録。
紀元前1世紀に建造されたナバテア人都市マムシトは街の規模としては小さいものの保存状態がよく、2つのキリスト教の聖堂跡が残っていて、西のナイル聖堂には鳥やフルーツ、幾何学模様などが見られるモザイク模様の床で知られます。
もう一つの有名な都市・アウダトは、紀元前1世紀に建造され、交易路が衰退した後、ワインの生産に力を入れ、段々畑や水路などが今でも残っています。特にビザンツ帝国時代には聖堂と修道院などが築かれ、ブドウ圧縮機は今でも現存。
ネゲヴ砂漠の香の道と都市群はどんな理由で世界遺産に登録されているの?
ネゲヴ砂漠の都市群が評価されたのが、以下の点。
登録基準(iii)
ネゲヴ砂漠の香の道と都市群は、乳香によって繁栄した経済や社会、文化を示すもので、周辺地域の交易品や思想までもがこの地に集まっていたという点。
登録基準(v)
ネゲヴ砂漠の香の道と都市群を示す遺跡は、5世紀に渡って都市や城塞、隊商宿、農業システムなどが見られ、人類が砂漠の環境に対応してきたということを示すということ。
世界遺産マニアの結論と感想
ネゲブ砂漠は、砂漠の環境に適用するように、ナバテア人によって築かれた都市で、それらは乳香という貴重品を運ぶことで繁栄し、ここには交易品だけでなく、人の交流も発生していたという点で評価されています。
ちなみに、世界遺産に登録されている4都市の一つ、シヴタはナバテア人都市と思われていましたが、実は4世紀以降のビザンツ帝国時代の農業共同体で、ここはその時代に巡礼地となった、シナイ半島にある聖カタリナ修道院への中継地となっていたという説を唱える研究者もいます。そうだとしても灌漑システムは世界遺産級なので、登録解除にはならないでしょうけど。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。