エンリケ航海王子とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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エンリケ航海王子(1394〜1460年)は、ポルトガルの王子であり、大航海時代の先駆者の一人です。彼は自ら航海に出たわけではありませんが、探検と航海技術の発展を支援し、ポルトガルの海外進出の基盤を築きました。エンリケ航海王子とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はエンリケ航海王子がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、エンリケ航海王子について具体的に理解できること間違いなし!

目次

エンリケ航海王子とはどんな人物?

エンリケ航海王子の彫像
画像素材:shutterstock

エンリケは1394年にポルトガル王ジョアン1世(1357〜1433年)と王妃フィリパ・デ・ランカスターの間に生まれました。エンリケが21歳の時、ポルトガル軍は北アフリカのセウタ(現在のモロッコ)を遠征に向かい、そこで伝説のキリスト教国家やサハラ砂漠のキャラバンによる交易などを見聞きして、アフリカ西岸の航路とインド航路の野望を抱いたとされます。

帰国すると、ポルトガル南端のサグレスに「王子の村」と呼ばれる学校や造船所、気象台などを設立したとされています。ここで、地理学者・天文学者・造船技術者・船乗りが集まり、さまざまな研究が行われた…とされますが、これは創作であるとも。

リスボンの発見のモニュメント
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しかし、彼はアフリカ探検を支援したのは事実で、1419年にジョアン・ゴンサルヴェス・ザルコがマデイラ諸島を発見し、植民地化。1427年にはディオゴ・デ・シルヴェスがアゾレス諸島を発見し、ポルトガルの重要拠点としました。そして、1420年代からエンリケの支援で探検家たちがアフリカ西岸を航海し、徐々に南下。しかし、アフリカ最南端の喜望峰やインド航路に至る前、1460年に彼はポルトガル南部のサグレスで死去(66歳)。

エンリケは第5子であり、三男であったため、王位に付くことはなかったものの、彼の功績によってアフリカから奴隷だけでなく、金や象牙を交易できるようになり、ポルトガルが海洋帝国として発展するきっかけになりました。それもあり、彼の死後、「航海王子」の敬称とともに呼ばれるようになりました。

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ジェロニモス修道院/ポルトガル

ジェロニモス修道院
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リスボンの中心部から西に位置するベレン地区。修道院はリスボン港の入口にあり、石灰岩で築かれているため、外観は白亜の美しい建築物となっています。

ここは海外航路の探検を積極的に支援したアヴィス王朝のマヌエル1世(1469〜1521年)が、大航海時代の先駆け的存在であったエンリケ航海王子、そしてヴァスコ・ダ・ガマ(1469年頃〜1524年)の業績を称えるため、危険な航海に立ち向かう船乗りたちの精神的な支えになるように建造したとされるもの。

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バターリャ修道院/ポルトガル

バターリャ修道院
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ポルトガル中西部にあるレイリア県。バターリャというのはポルトガル語で「戦い」という意味です。ここは1385年に現在のスペインの北部を支配していたカスティーリャ王国が攻め入ってきた「アルジュバロータの戦い」が行われた場所。

「創設者の礼拝堂」には、ジョアン1世の墓があり、彼の息子で多くの航海者を支援したエンリケ航海王子の墓など、歴代の王族の墓が置かれています。ここは200年に渡ってポルトガルの独立を示すシンボル的存在でもありました。

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世界遺産マニアの結論と感想

エンリケ航海王子は、探検を支援したことにより、アフリカ沿岸航路の開拓が進み、後にヴァスコ・ダ・ガマによるインド航路発見(1498年)につながったという点で非常に貢献しました。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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