スレイマン1世(大帝)とはどんな人物?世界遺産マニアが解説

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スレイマン1世(1494〜1566年)は、帝国の領土を最大規模に拡大した「壮麗帝」と呼ばれるスルタンでもあります。彼の治世は法制度も整備され、文化が大きく発展したことからオスマン帝国の黄金時代でもありました。スレイマン1世とはどういった人物だったのでしょうか?

今回はスレイマン1世がどんな人物だったかを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、スレイマン1世について具体的に理解できること間違いなし!

目次

スレイマン1世(大帝)とはどんな人物?

スレイマン1世(大帝)の彫像
画像素材:shutterstock

スレイマン1世は、1494年にトラブゾン(現在のトルコ東部)で誕生。父は第9代スルタン・セリム1世で、幼少期から高度な教育を受けましたが、1520年にセリム1世が死去したたため、スレイマン1世は16歳でスルタンとして即位。

当時、オスマン帝国はすでに広大な領土を有していましたが、彼はヨーロッパや北アフリカ、西アジアでの征服活動を積極的に進めました。特にヨーロッパではセルビアやハンガリーを征服し、当時のオーストリアのハプスブルク家に対してウィーンを包囲。しかし、これは失敗に終わります。

プレヴェザの海戦のイメージ
画像素材:Wikimedia Commons

海軍提督(パシャ)として海賊のバルバロス・ハイレッディンを雇用し、1538年のプレヴェザの海戦では、スペインとヴェネツィア、ローマ教皇の連合艦隊を破り、オスマン帝国の地中海制海権を確立。一方、東方に位置するサファヴィー朝(現在のイランを中心とした国家)と戦うも完全征服はできませんでしたが、イラクを保有しました。

とよう彼は「ムヒッビー(恋する者)」の筆名を持つ詩人でもあり、学問や芸術を好んだスルタンでもありました。そして、彼は帝国最大の建築家であるミマール・スィナンに依頼し、各地のモスクやインフラなどの建築・修復。

しかし、晩年は政争が相次ぎ、ウクライナ出身の奴隷であったヒュッレムを正式な妃としたため、長男ムスタファが処刑され、無能であったヒュッレムの子であるセリム2世が後を継ぐことになります。1566年に神聖ローマ帝国がハンガリーに攻め込んだため、要塞都市のシゲトヴァールを包囲するも、戦闘中にスレイマン1世は死去。

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ロドスの中世都市/ギリシャ

ロドスの中世都市
画像素材:shutterstock

ロドス島はギリシャで4番目に大きな面積を持つ島で、アジア側に位置しています。トルコ共和国のあるアナトリア半島のすぐ側にあり、20世紀初期まではオスマン帝国に支配されていました。

15世紀にはマムルーク朝やオスマン帝国の包囲戦でも耐え抜いたものの、1522年にはオスマン帝国のスレイマン1世による攻撃により陥落しました。それもあり、オスマン帝国に支配された後は、教会はほとんどがモスクに改築され、現在はモスクやハマム、オスマン帝国時代の邸宅が残っています。

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スレイマニエ・モスク/トルコ

スレイマニエ・モスク
画像素材:shutterstock

トルコ共和国の最大都市イスタンブールは、かつてはローマ帝国、ビザンツ帝国、オスマン帝国の首都となった場所。スレイマニエ・モスクは、彼が建造した最大のモスクであり、彼の墓でもあります。

これは帝国の首席建築家ミマール・スィナンに依頼して建造したもの。高台に位置するモスクで、ドームは高さが約53m。周辺の学校や病院なども含む複合施設でした。

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世界遺産マニアの結論と感想

スレイマン1世の治世はオスマン帝国の最盛期とされ、最大領土となる一方、国内ではインフラが整備され、文化も大いに繁栄しました。しかし、広くなった国土を支配できる中央集権のシステムを確立したものの、彼の死後、セリム2世をはじめ、スルタンは政治に興味を持たなくなり、宰相が持ちこたえるものの、オスマン帝国は徐々に衰退の兆しを見せることになります。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

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