古代オリンピックとは、現在も行われている近代オリンピックのルーツでもあり、第一回目の開催は紀元前776年にも遡ります。もともとオリンピックは古代ギリシャのオリンピアにて祭神ゼウスに捧げる競技大会の一環として始まりました。スポーツ大会というよりも宗教的な行事としての側面が強かったのですが、全ギリシャから選手が集まり、開催期間は戦争も中止となったということで、近代オリンピックと同じく「平和の象徴」として大きな意味を持っていました。
今回は古代オリンピックを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、古代オリンピックについて具体的に理解できること間違いなし!
古代オリンピックの始まりは?その歴史
オリンピックの誕生
古代オリンピックの起源は、紀元前776年にまで遡ります。ギリシャのペロポネソス半島の北西部のエーリス地方、オリンピアで開催されたこの大祭は、ゼウス神に捧げる競技大会としてスタートしました。古代オリンピックはギリシャ全土から選手たちが集まり、オリンピックの開催期間は合計で3ヶ月間もあり、これは「エケケイリア」と呼ばれ、戦争が中断された特別な期間に行われました。
大会は初期から4年に一度行われ、その期間は麦の刈り入れが終わって少し時間ができる8月(ユリウス暦)に設定されていました。競技は5日間に渡って行われ、多くの観客がこの地に集ったのです。
その目的は?
古代オリンピックの目的は、単なるスポーツ競技の枠を超えた、宗教的・社会的な意義を持っていました。まず、祭典の主な目的は大神であるゼウスへの奉納であり、オリンピアで開催される競技会は、ゼウス神への感謝と祈りを捧げる重要な儀式でもあったのです。とはいえ、優勝者にはオリーブの葉冠だけが贈られる「神聖競技会」と賞金・品物が贈られる「賞金競技会」の2つに分けられていました。
また、古代オリンピックはポリス(都市国家)間による平和の象徴でもありました。そして、エケケイレアの期間に侵攻した場合は参加が認められないという罰則もあり、そのポリスはゼウスの加護を受けられないというデメリットも発生するため、競技会が単なるスポーツイベントではなく、ポリス間の調和を保つという役割もあったのです。
女性は参加できなかった?
古代オリンピックは、オリンピアの祭典は祭神ゼウスへ捧げる競技会であるため、男性選手のみが参加できる競技大会として知られていますが、女性も全く関わらなかったわけではありません。古代ギリシャの社会では、一般的に女性が公共の場でスポーツを行うことはほとんどありませんでした。しかし、戦車競走は競技選手ではなく、馬が表彰される競技だったので、女性が所有者として優勝することができるという抜け道もあったのです。実際、スパルタの王女であるキュニスカは、戦車競走で優勝し、「世界初のオリンピックにおける女性の優勝者」としてその名を歴史に刻みました。
そして、ゼウスの妻であるヘラ女神を讃えるため、古代オリンピックが行われない年に「ヘライア」という女性専用の祭典も開催されました。
古代オリンピックの競技とは?種目一覧
初期の古代オリンピックの競技種目は短距離走(1スタディオン、約190m)であり、これに続いて中距離走、長距離走、そしてレスリングや戦車競走など、さまざまな競技が追加されていきました。以下が古代オリンピックで行われた主な競技となっています。
中距離走と長距離走
紀元前724年の第14回大会から中距離走、第15回大会から長距離走も加わりました。特に長距離走は、スタディオンを10往復する競技で、記録というよりも駆け引きを重視した競技だった様子。これらは陸上競技として、近代オリンピックでもその精神は受け継がれています。
レスリングとパンクラチオン
古代オリンピックにおいて、レスリングとパンクラチオンは格闘技として高い人気を誇っていました。レスリングは正しいフォームから相手を投げるというもので、どちらかというと相撲に近い競技だった様子。パンクラチオンは、レスリングにボクシングの要素を加えたものであり、素手ならどんな攻撃もしていいということから、激しい戦いが繰り広げられたそう。
戦車競走
古代オリンピックの競技の中でも、特に人気の高かったのが戦車競走。4頭立ての戦車を駆使する競技で、一度勝利すれば大きな栄光を得ることができました。戦車競走はその迫力から観衆を魅了し、ゼウスに捧げる祭典の一環としても重要な競技だったのです。
なぜ古代オリンピックは終わってしまったの?
古代オリンピックは約1200年間続いたものの、参加国が増えれば増えるほど、不正や審判の買収といった腐敗が進み、彼らには何度も罰金や大会追放が言い渡されるようになります。やがてギリシャはローマ帝国の支配を受け、キリスト教が広まるようになると人々の足は遠のいたものの、エーリスと周辺の都市の住民が集まって細々と続けられていましたが、異教の神の祭典であるオリンピックは禁じられ、393年にローマ皇帝によって廃止。
その後、長らく忘れられていましたが、古代の祭典の記述がある歴史書を読んだ、近代オリンピックの父、フランスのピエール・ド・クーベルタン男爵(1863〜1937年)に大いに感銘を与え、近代オリンピックとして復活する礎となりました。
オリンピアは近代オリンピック発祥の地として世界遺産に!
古代オリンピックのシステムは、近代オリンピックの誕生に大きな影響を与えました。1896年にピエール・ド・クーベルタン男爵が古代の伝統を復活させ、アテネで最初の近代オリンピックが開催。彼はスポーツ競技を通じて世界平和の実現を目指し、古代のオリンピックが持つ「エケケイリア」という概念も取り入れられ、現在でもその精神は生き続けています。
一方、発祥の地であるオリンピアの聖域は7世紀の地震で倒壊し、18世紀に再発見されるまでは地中に埋もれてしまいました。しかし、1989年にその価値が世界遺産として認められ、現在は「オリンピアの考古遺跡」として世界遺産に登録されています。
↓「オリンピアの考古遺跡」の詳細はこちら
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。