クレオパトラというと、日本では小野小町や楊貴妃と並ぶ「世界三大美人」の一人であるということで有名で、権力者も虜となるほどに絶世の美女というイメージがあります。しかし、彼女の本当の姿は現代人は分からないし…本当に美人かどうかは疑問ですよね?
その理由は研究者によってさまざまではあるものの、現段階での結論を世界遺産マニアが考察してみました。
クレオパトラは本当に美人だった?その顔立ちは?

クレオパトラは、プトレマイオス朝(紀元前305年〜紀元前30年)のエジプトの王女であり、同王朝の最後のファラオ(息子と共同統治)にまでなった人物。そもそも「クレオパトラ」といっても、その名前を持つ人物は実はたくさんいますが、一般的に我々がイメージするのは「クレオパトラ7世(紀元前69年〜紀元前30年)」のこと。
その姿は彫像や貨幣などに刻まれていて、あくまでも本人の姿をモチーフにしただけの記念碑的な姿であり、本来の顔立ちは分かりません。そして、イタリアのポンペイにある壁画には彼女が生きていた当時に描かれた姿が見られるものの…お世辞にも「美人」とは言えません。むしろ、その表情からはこれが本当に世界三大美人なのかは疑わしいところ。
エジプトの王女なのに人種が違う?



プトレマイオス朝は、そもそもが東ヨーロッパにあるマケドニア出身のアレクサンドロス3世(大王)が東方遠征した際に、その部下であった将軍プトレマイオス1世(紀元前367年〜紀元前282年)が開いた王朝です。よって、その子孫であるクレオパトラは当然マケドニアの血が流れていて、当時のマケドニアはギリシャの範囲内であったからほぼ「ギリシャ人」であったと言えるでしょう。
彼女自身の墓やミイラが発見されていないので、そのあたりははっきりとしてないのですが、妹であるアルシノエ4世(紀元前68年または67年〜紀元前41年)の遺骨はトルコのエフェソスで発見されていて、ギリシャ系とアフリカ系の混血であった可能性があることから、おそらくは彼女もギリシャ系の血は流れていたのでしょう。
クレオパトラの鼻は本当に高かったの?



「人間は考える葦である」という名言のフランスの哲学科ブレーズ・パスカル(1623〜1662年)が、クレオパトラを評価する際に「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら、歴史が変わっていた」と述べていて、これは彼女が美貌であったためにカエサルやアントニウスに取り入ることができたということ。
もちろん、パスカルは彼女の姿を書物でしか知ることはできないのですが、既に17世紀には文学や芸術作品では彼女はそんなイメージとなっていて、シェイクスピアの劇曲『アントニーとクレオパトラ』では、妖艶な印象を与えてしました。前述の通り、彼女の墓やミイラが発見されていないため、鼻は高いかどうかはわからないのですが、現在のクレオパトラのイメージは彼女の死後にさまざまな作品や論評で作られていったものでしょう。
本当の髪型はおかっぱ頭ではない?



19世紀のヴィクトリア朝時代のイギリスでは、古代エジプトを代表するキャラクターとなっていて、例えば、ランプやポストカード、タバコなどに使用されていました。それもあり、次第に彼女の姿は古代エジプトの女王らしく、おかっぱ頭のイメージで描かれ、褐色のエキゾチックな雰囲気の女性として描かれるようになり、特に映画や挿絵ではその傾向が強くなっていきます。
しかし、彼女の彫像は明らかにギリシャ系の王朝であるプトレマイオス朝らしく、ギリシャ系の人物が彫られていて、実際の彼女も巻き毛の西洋人らしい雰囲気を持つ女性であったという予測がされています。とはいえ、古代エジプトの神殿では、クレオパトラもエジプト風のおかっぱ頭で描かれていることもあるので、あながち「間違い」とも言えないのですが…。
世界遺産マニアの結論と感想
ここまで述べましたが…やはり、2000年前の人物だけに美人かどうかは正直これといった資料がなく「分からない」というのが結論でしょうか。しかし、クレオパトラは王女だけあって、当時の首都であったアレクサンドリアの学校で多くの学問を学び、古代エジプト語だけでなく、ギリシャ語やラテン語など、9カ国を話すことができたという説もあります。よって、外面だけではなく、その教養から「美しさ」を醸し出してたという可能性もあり、カエサルやアントニウスもそこに惚れていた可能性だってあるのですよ。
そう考えると、顔立ちがどうか?というのは、むしろ不毛な話かもしれませんね…。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。