ルイ14世とマリー・アントワネットは、どちらもフランスのブルボン王朝を象徴する存在として知られています。しかし、実際に二人が出会ったことはありません。それもそのはず…二人は100年近く離れた時代を生きた人物だったのですから。
今回はルイ14世とマリー・アントワネットの関係を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!
ルイ14世とマリー・アントワネットとはどんな関係?

ルイ14世はブルボン朝の中でも、絶対王政を確立した「太陽王」として有名な王です。一方のマリー・アントワネットは、ルイ14世の玄孫(やしゃご)であるルイ16世の王妃であり、オーストリア・ハプスブルク家の出身です。
つまり、マリー・アントワネット自身はブルボン家に生まれたわけではありませんが、婚姻によってその一員となりました。血縁関係は直接的ではないものの、同じ王朝に所属したという点では共通点はありますね。
ルイ14世はどんな人物?



ルイ14世(1638~1715年)は、フランス絶対王政の最盛期を築いた人物。彼はヴェルサイユ宮殿を拡張し、王権を神格化させたことで知られています。また、数々の戦争を指揮し、フランスをヨーロッパの強国として君臨させましたが、その反面、戦費や宮殿の建設備費などによって国家財政を圧迫しました。
彼は1715年に死亡しましたが、これはマリー・アントワネットが生まれる約40年前のことです。
マリー・アントワネットはどんな人物?



マリー・アントワネット(1755~1793年)は、オーストリアのハプスブルク家のマリア・テレジアの娘として生まれ、14歳でフランスの皇太子ルイ=オーギュスト(後のルイ16世)と結婚しました。
彼女はルイ14世が築いたヴェルサイユ宮殿で生活を送り、その華やかな暮らしぶりが民衆の反感を買うことになります。フランス革命勃発後は王政とともに没落し、最終的にはギロチンによって処刑されてしまいました。
世界遺産マニアの結論と感想
ルイ14世とマリー・アントワネットは直接面識のない人物であり、活躍したのも約100年の時代差があります。しかし、ルイ14世による多大な戦費による財政悪化は、長期的に見ればフランス革命への布石となったともいえるでしょう。その意味で、マリー・アントワネットの悲劇的な運命は、ルイ14世の治世とも無関係ではないのかもしれませんね。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。