ナポレオン1世とナポレオン3世は、いずれもフランスで皇帝として即位した偉大な人物です。…しかし、同じ「ナポレオン」であっても、この二人の実像や評価には大きな違いがあります。同じ名を持ち、血縁関係もある両者ですが、その経歴や成果を比較してみると、意外なほどに対照的なんですよ。
今回はナポレオン1世と3世の違いを世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、その関係について具体的に理解できること間違いなし!
ナポレオン1世とはどんな人物?

ナポレオン1世(ナポレオン・ボナパルト、1769〜1821年)は1769年に地中海に浮かぶコルシカ島で生まれました。若くしてフランス陸軍に入隊し、その卓越した軍事的才能で頭角を現します。特にイタリア遠征などでの活躍により、フランス国内で英雄視されるようになりました。
1799年にはクーデターを起こして政権を掌握し、1804年には皇帝に即位しました(第一帝政)。彼は数多くの戦争を指揮し、ヨーロッパ各国に影響を及ぼす存在となります。さらに、ナポレオン法典を整備し、行政改革や教育制度の近代化を進めたことでも有名。
しかし、ロシア遠征の失敗やナポレオン包囲網による連合軍との戦いに敗れ、1814年に退位。エルバ島へ流されるも脱出し、一時的に復権(百日天下)しますが、ワーテルローの戦いで再び敗北し、セントヘレナ島に流され、1821年に亡くなりました。
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ナポレオン3世とはどんな人物?



ナポレオン3世(ルイ=ナポレオン、1808〜1873年)は、ナポレオン1世の弟・ルイ・ボナパルトの息子として1808年に誕生。若い頃から皇帝の血を引く者として注目されていましたが、しばしばフランスで反乱を起こしては失敗を繰り返してきました。
しかし、1848年の二月革命後に実施された大統領選挙で、圧倒的な得票を得てフランス初代大統領に就任。その後、憲法を改正して1852年には皇帝に即位し、ナポレオン3世となりました(第二帝政)。
内政では産業の振興、パリの都市改造などを実施し、一定の成果を残しましたが、対外政策では失敗が目立ちます。特にプロイセンとの戦争(普仏戦争)に敗れたことで、1870年に失脚し、第三共和政が成立します。最終的にはイギリスで亡命生活を送り、1873年に死去しました。
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ナポレオン1世と3世はどんな違いがある?



ナポレオン1世は、革命後の混乱期に軍人として頭角を現し、自らの力で皇帝に上り詰めたカリスマ的存在でした。その軍事的才能、政治手腕、改革精神は群を抜いており、フランス国内外で今なお評価の高い人物です。一方のナポレオン3世は、血筋による人気を活かして政権を獲得したものの、軍事面では精彩を欠き、外交でも判断ミスが目立ちました。都市整備などの内政には貢献しましたが、1世のような英雄的エピソードはなく、むしろ敗北によってその評価を大きく下げています。
特にナポレオン1世は、自らの手で戦場を指揮し、欧州の覇権を争う一方で、法典の整備や中央集権化を実現するなど、国家形成に深く関わりました。ナポレオン3世は、そうした実行力や先見性において1世に及ばなかったといえるでしょう。
世界遺産マニアの結論と感想
同じ「ナポレオン」の名を冠していても、その生き様や実績には大きな違いがあります。たしかにナポレオン3世も皇帝にはなりましたが、ナポレオン1世のような圧倒的なカリスマ性や軍略の才能、国家を根本から作り変えるような力は持ち合わせていませんでした。
やはり、ナポレオン1世が持っていたカリスマ性や軍事的才能、時代を先読みする能力は、歴史の中でも際立った存在であり、「ナポレオン」と聞いてまず思い浮かぶのは、1世であるということに異論はないでしょう。むしろ、3世の知名度は…果たして?
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。