ミケランジェロの『ピエタ(サン・ピエトロ)』とは?世界遺産マニアが解説

  • URLをコピーしました!

『サン・ピエトロのピエタ』は、世界遺産に登録されている、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂にある彫刻作品で、ミケランジェロ(1475〜1564年)の代表作の一つ。十字架から降ろされたキリストの亡骸を抱く聖母マリアの姿を表した「ピエタ」の中でも最高傑作とされています。

今回はミケランジェロの『ピエタ』を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、『ピエタ』について具体的に理解できること間違いなし!

目次

そもそも「ピエタ」とは?

『フィレンツェのピエタ』
画像素材:shutterstock

「ピエタ(Pietà)」とは、イタリア語で「哀れみ」「慈悲」という意味があり、キリスト教美術において、聖母マリアが亡くなったキリストの遺体を抱く姿を表現した作品のことを指します。新約聖書では具体的な記述はないものの、中世ドイツで発展し、イタリアに伝わったことから人気の高いテーマであり、ルネサンス期になってもキリスト教関連の施設ではピエタの姿が制作されてきました。

ちなみにこれは聖母マリアと幼児イエス・キリストを共に描いた「聖母子像」の一種で、ミケランジェロの彫刻が有名ですが、絵画にもよく描かれています。

なぜ『サン・ピエトロのピエタ』は作られた?

サン・ピエトロ大聖堂のピエタ/バチカン市国
画像素材:shutterstock

若き日のミケランジェロは既に彫刻の分野においては知名度もあり、成功していました。そこで1498年にフランスの枢機卿ジャン・ビレール・ド・ラグロラスから依頼があり、これは当初サン・ピエトロ大聖堂に墓碑の装飾としてオファーされたもの。枢機卿は1499年6月には死去したものの、制作期限は8月であったとされますが、実は期限を越えてしまい、完成したのは1500年と約2年に渡って制作されたとされています。

それもあり、聖母マリアが亡きキリストを抱く姿である『ピエタ』は若きミケランジェロの代表作となりました。その後、彫像は枢機卿の墓の上に置かれたものの、墓は再建計画によって取り壊され、ピエタは聖堂内を何度か移動し、現在の第1礼拝堂に置かれるようになったのは1749年から。

ミケランジェロの『サン・ピエトロのピエタ』の特徴は?

サン・ピエトロ大聖堂のピエタ/バチカン市国
画像素材:shutterstock

この聖母子像が衝撃だったのは、聖母マリアが非常に若く、美しい顔で表現されているという点。それまでは、ピエタというと、年配の女性が悲しみに暮れている姿が一般的でした。これについて、ミケランジェロは手紙で「原罪のない聖母マリアは老いることがない」と説明していて、意図的なものだったのです。しかし、これについては諸説あり、彼自身、早くに母を亡くしているために自身の姿を投影しているという説も。

キリストを抱える聖母マリアというテーマであることから、絵画では表現可能ですが、彫刻となると非常に困難なものでした。そこでミケランジェロは全体の構図を三角形にし、キリストの体はマリアの膝の上に斜めに配置され、あえてマリアの体を大きくデザインさせてバランスを取るようにしています。横から見ると不格好ですが、高所に設置すると違和感がなく、当時は墓の上に置かれていたことを考えると、視覚的効果も狙っていたと考えられるでしょう。

世界遺産マニアの結論と感想

『サン・ピエトロのピエタ』は、若きミケランジェロが制作し、その名声を得た傑作であり、彼自身の技術力だけでなく、彼のキリスト教の解釈なども見られる作品でもあります。実際、この作品が成功したことから、その後の『ダビデ像』や「システィーナ礼拝堂の天井画」といった傑作の基盤となった作品でもあるとも言えるでしょう。

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1200以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定マイスター認定済。

目次