中国史上初めて天下統一を成し遂げた、秦の始皇帝(紀元前259年~紀元前210年)。彼も当然人の子であり、母親については漫画『キングダム』でも登場した超姫(紀元前280年〜紀元前228年)であるのは確実なのですが、史実でもなかなかのクセのある人物だった様子。
今回は始皇帝の母「趙姫」を世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、趙姫について具体的に理解できること間違いなし!
始皇帝の母「趙姫」とはどんな人物?史実とはどう違う?

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超姫(ちょうひめ)はもともとは秦の隣国である趙(現在の中国・河北省あたりに位置した国家)の人でした。彼女はもともと秦の宰相であった呂不韋(りょふい)の妾(めかけ)だったとされ、美しい女性だったとされています。呂不韋は当時、秦国の人質として趙国にいた嬴異人(えいいじん、後の荘襄王)を支援していました。そして、自分の妾であった趙姫を異人に献上。やがて彼女は妊娠し、紀元前259年に後に始皇帝となる嬴政(えいせい)を産んだのです。
紀元前250年に異人が秦王・荘襄王に即位すると、趙姫も正式に王妃となりました。しかし、荘襄王は即位からわずか3年で亡くなり、嬴政が13歳で王位を継承しました。
嫪毐(ろうあい)との密通によって幽閉



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嬴政はまだ幼く、実権は丞相となった呂不韋が握っていました。中国最古の歴史書『史記』によると、趙姫と呂不韋の関係はその後も続いたと言われています。しかし、呂不韋は自身の立場が危うくなることを恐れ、嫪毐という男性を趙姫に差し出すことに。
嫪毐は宦官を装って後宮に入り、趙姫と密通し、彼女との間に息子を2人もうけてしまいます。それもあり、彼は領土を得ると、やがて嫪毐は兵を集めてクーデターを企てました。しかし、嬴政に鎮圧され処刑。彼の血を引く息子も処刑され、趙姫も幽閉されてしまいます。後に趙姫は許され、王城へと戻ることができましたが、紀元前228年に死去しました。享年53。そして、この事件こそが呂不韋の失脚にもなったのです。
世界遺産マニアの結論と感想
漫画『キングダム』での嫪毐は気の良い男で趙姫との真実の愛を貫いた人物でありましたが、史実の彼は…どちらかというと出世欲が強そうな人物の印象。そして、超姫は中華を統一した始皇帝の母らしく、目的のためなら手段を選ばないタイプでありましたが、最後は密通によって幽閉されてしまうという、少し困ったタイプだったようです。
※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。