奈良県の世界文化遺産「法隆寺地域の仏教建造物」とは?その歴史と建造した聖徳太子を含めて世界遺産マニアが簡単に解説

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登録区分文化遺産
登録基準(1), (2), (4), (6)
登録年1993年

奈良県にある「法隆寺地域の仏教建造物」といえば、法隆寺を中心に世界文化遺産に登録されていることで有名ですね。ところで、法隆寺はなぜ世界遺産に登録されているのでしょうか?意外と知ってそうで知らない!

ここでは、今回は法隆寺地域の仏教建造物がなぜ世界遺産なのか、世界遺産マニアが分かりやすく解説。これを読めば、法隆寺について詳しくなること間違いなし!

目次

国宝だらけ!世界遺産・法隆寺地域の仏教建造物の場所は?

法隆寺
画像素材:shutterstock

奈良県北西部の生駒郡斑鳩町にある法隆寺の一部の建築物は、「現存する世界最古の木造建築物」として知られます。世界遺産に登録されているのは、法隆寺に属する47棟と北東へ約1.5kmほど離れた法起寺の三重塔。ここは、日本で7世紀に仏教が布教した頃に築かれた初期の寺院であり、日本の寺院建築に大きく影響を与えたもの。

法隆寺・西院伽藍の金堂や五重塔、東院伽藍の夢殿などは国宝に登録されていて、金堂の釈迦三尊像(国宝)はなんと7世紀に遡る仏像でもあります。

法隆寺の歴史をわかりやすく解説

法隆寺はいつ建てられた?

金剛力士立像/法隆寺
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法隆寺は、607年に聖徳太子(593〜622年)によって築かれた若草伽藍(斑鳩寺、いかるがでら)をベースにしていると考えられています。しかし、この若草伽藍は670年に消失すると、現在の法隆寺西院は若草伽藍から移転して、7〜8世紀に渡って再建されたというのが現在の通説。

法隆寺は、常に天皇家によって保護され、12世紀以降は全国で「聖徳太子信仰」が広まり、多くの人々が巡礼することによって保護されてきました。これは世界最古の木造建築の傑作というだけではなく、仏教が日本で布教したという点でも重要な遺産でもあります。

明治初期は真言宗に属していたものの、中期には奈良の薬師寺・興福寺と同じく法相宗として独立。1950年には法相宗から聖徳宗(しょうとくしゅう)として独立し、1993年には世界遺産に登録され、現在に至っています。

法隆寺の特徴は?エンタシスの技法が見られる?

西院伽藍のエンタシス
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再建されたとされる現在の建築物には、中国の建築様式が見られ、西院や五重塔などの柱には、ギリシャのパルテノン神殿でも見られるような柱の中央部分を膨らませるというエンタシスが見られます。これは一般的に「シルクロード経由でギリシャの技法が日本へと伝わった」とされていますが、これはあくまでも俗説であり、実は経由地のルートが見つかっておらず、中国や韓国から伝来したと考えられるもの。

法隆寺は誰が建てた?創建したのは聖徳太子?

「東武ワールドスクエア」で再現されたミニチュア
※写真は「東武ワールドスクエア」で再現されたミニチュア

現在の法隆寺の開基(寺を開いた人物)は、聖徳太子となっています。彼は天皇の子息であったことから、叔母である推古天皇(554〜628年)が即位すると、厩戸皇子(古代の文献では見られないものの、彼の呼称)として皇太子となりました。それもあり、政治の中枢にいたのは間違いなく、律令国家の整備を行ったことでも有名ですね。

彼は601年に当時の都があった飛鳥京からこの地に移り住むために宮室である斑鳩宮を建造すると、607年に亡き父・用明天皇のため、寺の造立を発願しました。当時は斑鳩寺と呼ばれていましたが、これが法隆寺のルーツ。しかし、太子の死後、670年に焼失。当時の建造物が残っておらず、現在の西院伽藍の南東部にある若草伽藍跡が創建時の法隆寺の遺構です。

法隆寺地域の仏教建造物はどんな理由で世界遺産に登録されているの?

法隆寺西院伽藍
画像素材:shutterstock

法隆寺地域の仏教建造物が評価されたのは?以下の点。

登録基準(i)
世界最古の木造建築であり、設計と装飾においても傑作であるという点。

登録基準(ii)
日本でも初期の仏教建築であり、その後の寺院建築に大きな影響を与えているということ。

登録基準(iv)
法隆寺は中国から渡来した仏教建築が日本の文化に適応して、日本独自の建築様式を発展させていったことを示すという点。

登録基準(vi)
聖徳太子による仏教の奨励は、日本における宗教史において重要な段階であったということ。

の4つ。つまり、

「法隆寺は中国の仏教建築と日本の文化を組み合わせた木造建築としての傑作であり、7世紀頃に日本に仏教が伝来したということを示し、やがて日本各地の寺院建築に影響を与えた」

ということですね。実際に登録されているのは、2つの資産で構成されています。

・法隆寺(西院伽藍と東院伽藍)
・法起寺

それでは、ひとつひとつ解説していきましょう。

法隆寺の構成遺産をご紹介

1、法隆寺西院伽藍

法隆寺西院伽藍
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かつて聖徳太子が建造した若草伽藍があった場所で、711年頃に金堂が再建されとされ、その後、五重塔や大講堂などが築かれていきました。

敷地の中央に東に金堂、西に五重塔があるという配置は、「法隆寺伽藍配置」といい、仏像がある金堂と釈迦の遺骨を納めたストゥーパをルーツに持つ五重塔を中心に構成されたもの。建物は柱と梁の接合部を強くする「雲形組物」が使用されていて、これは仏教とともに日本へ伝わった建築美術。金堂に残る「釈迦三尊像」は聖徳太子死後に造られたもので、その造形は中国文化の影響が見られるもの。

法隆寺の敷地の入口でもある中門は、門の中央部に柱を置くという「四間門(しけんもん)」。左右には鎌倉時代に築かれた金剛力士像が置かれています。

2、法隆寺東院伽藍

法隆寺東院伽藍
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もともとは聖徳太子が住んでいた斑鳩宮の跡地に、8世紀に建造されたもの。夢殿は8世紀初期に造られたもので、現存する最古の八角円堂。屋根は「八柱造り」という独特の様式。本尊は、聖徳太子の顔を表したと伝わる「久世観音菩薩立象」で、明治に岡倉天心たちによって発見されたとされるもの。

3、法起寺

法起寺
画像素材:画像AC

法隆寺から北東へ約1.5kmにある、聖徳太子建立七大寺の一つ。境内に残る三重塔以外は残っておらず、登録されているのは高さ24mの三重塔のみ。実は着工の年月でいえば、法隆寺の五重塔よりも古いとされています(ただし、完成は法隆寺の五重塔のほうが早かったとされることも)。

世界遺産マニアの結論と感想

日本人の半分くらいが修学旅行で訪れたことであろう法隆寺ですが、意外と世界遺産としての説明は難しいもの。誰もが知る「現存する木造建築として最も古いもの」という点は評価基準としては正しくはありますが、それだけでなく、法隆寺はシルクロード経由でヨーロッパの建築技術が導入された、日本初期の仏教寺院であり、その後の日本の仏教建築に大いに影響を与えたという点で大いに価値があるのです。

ちなみにですが、法隆寺は聖徳太子が暮らした斑鳩宮と太子が作った斑鳩寺のあった若草伽藍(創建法隆寺)の跡地に建てられたもの。つまり、現在見られる法隆寺は太子がなくなった後に建造されたものなので要注意!

※こちらの内容は、世界遺産マニアの調査によって導き出した考察です。データに関しては媒体によって解釈が異なるので、その点はご了承下さい。

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この記事を書いた人

世界遺産一筋20年以上!遺跡を求めて世界を縦横無尽で駆け抜ける、生粋の世界遺産マニアです。そんな「世界遺産マニア」が運営するこちらのサイトは1100以上もある遺産の徹底紹介からおもしろネタまで語り尽くすサイト。世界遺産検定一級取得済。

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